自叙伝
環衛合同ビル事件(2)
日本民族独立義勇軍と名乗った事件は、神戸米国領事館放火事件です。
その後朝日新聞社への銃撃、射殺事件へと続き、その時の犯行声明は同組織の別動隊、赤報隊のものでした。
私は非常な違和感を覚えた。少し悩んだがこれを支持するとブログで書いた。
他の右翼団体や活動家も沈黙した。
その時に同じく支持を表明したのが安倍勉という活動家でした。
テレビの彼に対するインタビューでそれを知った。
それから彼が亡くなる前までの長い付き合いとなりました。それを知る人は少ない。
安倍勉先生は福島で発行された雑誌の編集業務を請けており、度々福島に来ていた。
先生は酒が好きで、その時に私もおつき合いをした。
その前になるが、全国有志大連合という組織の全国大会や水戸大会で私に挨拶するように誘ったのも安倍先生でした。
私の演説後、国士舘大学教授の小森義峯先生があの事件を是とするような文章を書いているのを知り、その文章を小森先生からいただいたことを紹介した。
小森義峯
1966年8月論題「連邦制度の研究」で法学博士(京都大学)の学位を受く。
1973年京都産業大学法学部教授。1973年同大学院法学研究科教授。
1984年国士舘大学大学院政治学研究 ...wikipediaより
朝日新聞社ではあの事件後も犯人を追い続けていて、私の所に訪ねてきた。
話は逸れますが、その前に書きたいことを思い出しました。
私が実家で稲刈りの手伝いをしている時に数名の男がいることに気づき、何の目的かと尋ねると神戸から来た警官だと名乗ったので追い返した。
さて朝日の記者は時効後に私の所に来た時に、無念だと語った。
その記者に「あなたは、誰が犯人と思いますか?」と尋ねると、ある人の名を言った。
私もそのように思いますと答えた。
これは赤報隊のことではなく、あくまでも日本民族独立義勇軍のことです。