日経「捏造報道」その?
昨日のコメント欄に「富田メモ」捏造報道の新たな情報が寄せられたので紹介します。
<1988年2月16日の日本経済新聞夕刊が伝えている記事>
神話教育復活を、郵政相ら強調――公式発言、野党の追及必至
『十六日の閣議後、建国記念の日の式典に関連し奥野国土庁長官、中山郵政相らが神話教育の復活や「君が代」「日の丸」の定着の必要性を強調した。形式上は閣議終了後にせよ公式の場でのものであり、今後の国会審議などで野党側が「問題発言」として追及しそうだ。
これらの発言は小渕官房長官が閣議終了を告げたあと、さる十一日の「建国記念の日を祝う国民式典」への各閣僚の出席にお礼を述べたのに関連して飛び出した。
奥野長官は「建国記念の日の式典が様々な形に割れているのは、どこの国でもやっている神話や伝承について教科書で取り上げていないからではないか」と指摘。「戦後、占領軍が神話教育を否定したのはやむを得ないとして、独立後復活させるべきだった。復活しなかったのが問題だ」と強調した。
中島文相は「地理や歴史の中で教えているが、検討させてもらいたい」と答えた。また、郵政相は「国旗や国歌を否定したのが問題だ。もっと定着させるべきだ」と主張すると同時に、「今後はできるだけ閣僚全員が出席した方がいい」と式典への全閣僚の出席を求めた。
これに対し式典に欠席した石原運輸相ら四閣僚が「所用があり出席できなかった」などと説明した。ただ、この一連の発言についてはかん口令が敷かれたようで、「官房長官が記者会見でまとめて話す」と申し合わせたものの、小渕長官は会見で内容を明らかにしなかった。』
天皇陛下の発言とされた部分の上にあったのは、
「前にあったね どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったか
藤尾(文相)の発言
=奥野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚のことと思う
単純な復古ではないとも」
この「バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも」。これは、この記事が伝える奥野国土庁長官の発言、神話や伝承について教科書で取り上げることに対する言葉であったとしたら…合う! ぴったり合う!
1988年4月22日の奥野国土庁長官の発言をどう読んでみても、靖国神社参拝の批判に対する批判、中国への批判であり、「バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも」という言葉は合わない。しかし、1988年2月16日の奥野国土庁長官の発言ならぴったり合う!
1988年4月22日の奥野国土庁長官の発言は大変な騒ぎになり、これが元で奥野国土庁長官は長官をクビになっている。
そんな大変な騒ぎになっている中、しかもメモの3枚目で「“嫌だ”と云ったのは 奥野国土庁長 の靖国発言中国への言及にひっかけて 云った積りである」と言った後で、それ以前の発言を取り上げて、批評するなどまったく考えられない。
メモは1988年4月22日より前に書かれたものだ!!!
間違いなく捏造だ!!!
この「富田メモ」については疑惑だらけである。これまで多くの方がネットで指摘したように、なぜ先帝陛下(昭和天皇)のお言葉とする部分だけを取り出して報道したのか―である。
今回のこの発見者もそこに何か、隠されているものがあると疑惑を抱いて調べていたのでしょう。天皇陛下のお言葉の前に書かれているこのメモ書きの意味ついては、幾つかの解説がなされてきたが、今回の解説にはかなり説得力がある。
この解説をしている方は「城岡辰矢」という人です。この方が「ほそかわ・かずひこ・ブログ」にコメントとして投稿されております。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/8b8cf0efe21f086a3cb8522c5e1d2129
私のブログへの投稿ではありませんが、マスコミにも送っていると書かれているので、無断で申し訳なく思いましたが、紹介することにします。
私は独自で調査した結果、富田メモの3枚目までは日経新聞社がいうように昭和63年4月28日のものであっても、メモの4枚目はこの日より前に記録されたものが3枚目の後に付けられ、前の3枚に続けて書かれたもののように捏造されたものである可能性が極めて高いという確証を得ました。
以下にその証拠を示します。
証拠1:「バランス感覚のことと思う」の一文
メモの4枚目には天皇陛下のお言葉とされた箇所の上に次のような文章があります。
「前にあったね どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったか
藤尾(文相)の発言
=奥野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚のことと思う
単純な復古ではないとも」
最後にある「バランス感覚のことと思う/単純な復古ではないとも」とはどのような意味でしょうか。=は富田長官の発言を示すメモの特徴、と8月3日の日本経済新聞が伝えていますので、=以下は富田長官の発言だと思われますが、これはどのような意味か。
奥野国土庁長官は63年4月22日の閣議後の会見で、靖国神社について「戦後四十三年たったのだから、もう占領軍の亡霊に振り回されることはやめたい」「訒小平氏が言っていることを無視することは適当ではないが、日本の性根を失ってはならない。中国とは国柄が違う」と述べ、当時は大変な騒ぎになりました。
3枚目のメモの末尾にも8月3日の日本経済新聞が伝えているように「嫌だと云ったのは(当時の閣僚の名)の靖国発言中国への言及にひっかけて云った積りである」と記載されており、天皇陛下が戦争の感想を問われたとき嫌な気持を表現した理由は奥野国土庁長官の発言によるとされています。(この発言も天皇陛下の発言ではないと思いますが、それは後で述べます)
もし4枚目のメモが3枚目のメモの続きであるのならば、「バランス感覚のことと思う/単純な復古ではないとも」は、奥野国土庁長官の発言に対してのもののはずです。しかし、「単純な復古ではない」とは靖国神社参拝のことであると言われれば、そうかもしれないと思えますが、「バランス感覚のことと思う」とはどのような意味でしょうか。靖国神社参拝のこと、または中国に対する批判のことが、なぜ「バランス感覚のことと思う」のであるか。
実は奥野国土庁長官はこの発言の前にも、別の発言を行っています。1988/02/16の日本経済新聞 夕刊や、1988/02/17の朝日新聞や読売新聞は奥野国土庁長官が次のような発言をしたと伝えています。
「建国記念の日の式典が様々な形に割れているのは、どこの国でもやっている神話や伝承について教科書で取り上げていないからではないか。戦後、占領軍が神話教育を否定したのはやむを得ないとして、独立後復活させるべきだった。復活しなかったのが問題だ」(1988/02/16の日本経済新聞 夕刊より抜粋)
神話や伝承について教科書で取り上げること、これであれば、「バランス感覚のことと思う/単純な復古ではないとも」の意味がわかります。
色々な歴史を教科書に載せて子供達に教えるべきであるが、神話や伝承について教科書で取り上げることは、事実とされる歴史とは別にそのような歴史もあるということを知る必要があるという意味でバランス感覚のことであり、単純な復古ではない。
確かに当てはまります。どう考えても「バランス感覚のことと思う/単純な復古ではないとも」は、神話や伝承について教科書で取り上げてはどうかとした発言に対してのものであると考えるのが一番しっくりいきます。
なぜ、3枚目のメモで奥野国土庁長官の63年4月22日の発言のことが書かれ、4枚目のメモでそれより前の発言のことが書かれているのか。しかも当時は、奥野国土庁長官の63年4月22日の発言は大変な物議をかもしている最中です。富田長官がその前の発言のことを引き合いに出して感想を言われるとはとても思えません。
こう考えると、4枚目のメモは奥野国土庁長官の63年4月22日の発言より前に書かれたものである可能性が極めて高いと言えます。
証拠2:4の字の筆跡
メモ帳の左側のページの右上にある。4.26 1425−1450 と4枚目のメモの右上にある。4.28 ? を写真を拡大してよく見てください。
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060721082842.jpg
http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1359.html
4の字の筆跡が明らかに異なっています。4枚目のメモの右上にある4.28 ? の4はかどが鋭く曲がっています。同じ人が4の字を書いても、ゆっくり書く場合はかどが鋭くなり、速く書く場合はかどが丸くなることがありますが、日付と番号を後から書いたとしてもゆっくり書くことがあるでしょうか。普通、日付や番号は後で書いたとしてもメモをとり終わった後にすぐ書くはずであり、ゆっくり書く可能性は低いと思います。その証拠に3枚目のメモの63.4.28の4を拡大してみるとかどが丸くなっています。反転して鮮明にした写真でも裏側から見た写真でもそうなっています。
すなわち、4枚目のメモの4.28 ? は富田長官以外の誰かが後から書入れた可能性が極めて高いと言えます。
証拠3:?の4の字を修正した跡
4枚目のメモの右上にある。4.28 ? の?を写真を拡大してよく見てください。よく見ると、4以外の数字(3のように見えます)が書かれていたのを強く4の数字を入れることで?に修正しているように見えます。富田長官が書くときに間違えて修正したとも考えられなくありませんが、?、?,?と数字を打ってきて?を間違えることがあるでしょうか。また間違えたとしても、人には見せないメモですから棒線で訂正して新たに書くのが普通ではないでしょうか。
すなわち、4枚目のメモの4.28 ? の?は別の数字が書かれていたものを富田長官以外の誰かが後から4の数字を書入れた可能性が高いと言えます。
証拠4:3枚目のメモの書き方と4枚目のメモの書き方がかなり違う
8月3日の日本経済新聞が伝えていますように、3枚目のメモは次のように書かれています。
Pressとの会見
昨年は
? 高松薨去間もないときで心
も重かった
? メモで返答したのでごつごつ
していたと思う
? 4.29に吐瀉したが その前で
やはり体調が充分でなかった
それで長官に今年はの記者
印象があったのであろう
=(2)については記者も申して
おりました
記者質問に対して?、?、?と番号が打たれ、文章の内容も読めば意味がわかるようになっています。この後の戦争の感想の箇所も、桜井よしこさんが週刊新潮の8月10日号で書かれているものや、インターネットの多くのサイトに掲示されている画像(3枚目を反転して鮮明にしたもの)にあるよう、番号が打たれ、文章の内容も読めば意味がわかるようになっています。
しかし、4枚目のメモは冒頭から文章の省略が多く意味がわかりません。戦争の感想から靖国神社参拝に内容が変わっているのに、番号もうたれていません。
これはとても連続して書かれたものとは思えません。
以上の証拠から、メモの4枚目はこの日より前に記録されたものが3枚目の後に付けられ、前の3枚に続けて書かれたもののように捏造されたものである可能性が極めて高いと言えます。
では、メモの4枚目はいつ書かれたものでしょうか。私は、徳川侍従長が勇退される昭和63年4月12日あたりではないかと思います。メモの4枚目の発言者は既に週刊新潮がそれとおもわせる記事を書いているように徳川侍従長だと思います。
理由は発言内容が別で行っている発言内容にぴったり一致していること、「松平の子の今の宮司」とメモに書かれているように、松平永芳宮司を松平の子と呼ぶ事から近親者で年配者であることからです。
4枚目のメモは横に、「そうですがか多い/余り閣僚も知らず」と注記され、「関連質問 関係者もおり批判になるの意」とメモの下に注記されていることから考えて、実際の記者会見での回答をメモしたものと考えていいと思います。それであれば、文章が省略されて書いた本人しか意味がわからない場所があることも説明がつきます。
私が推測するに、徳川侍従長は記者会見でこのように言われたのではないかと思います。
「(奥野国土庁長官が首相に靖国神社公式参拝を申し入れたり、神話や伝承について教科書で取り上げてはどうかといった復古主義的な発言をしたことが)前にあったね。(かなり過激な発言をされているようだが、神話や伝承について教科書で取り上げてはどうかとはいったい)どうしたのだろう。(以前)中曽根(首相)の靖国(神社公式)参拝もあった(が1度きりでなくなってしまったのでよほど立腹されているのだろうか。靖国神社公式参拝と言えば)藤尾文相(が首相が公式参拝を取りやめたことに対して大変厳しく批判したり、中国に対してかなり過激な)発言(をされて罷免されたことがあったが、奥野国土庁長官も発言が過ぎると藤尾文相と同じようになる可能性がある。少々発言を控えたほうがいいのではないか)」
これに対し富田長官が
「奥野(国土庁長官)は藤尾(文相)と違うと思(います)が、(神話や伝承について教科書で取り上げてはどうかとは、歴史をあらゆる面から教えなければいけないということで)バランス感覚のことと思(われます。奥野国土庁長官は)単純な復古(主義的な意味)ではないとも(言われています)」
と言い、そして記者が
「徳川侍従長は靖国神社の参拝を行っていませんが、その理由は何でしょうか」
と訊き、徳川侍従長が、天皇陛下の言葉としてマスコミが報道した箇所の内容を述べられたのだと思います。
そしてメモの3枚目は確かに昭和63年4月28日に書かれたものだと思いますが、日経新聞が伝えているように天皇陛下が記者会見の感想を述べられたことを富田長官がメモするなどということは、非常に考えにくいことですので、これは4月25日に行われた天皇陛下の記者会見の際、天皇陛下の体調が悪く十分な回答をいただけなかったので、富田長官とどなたかが4月29日に新聞に載せる天皇陛下の会見内容について打ち合わせを行ったときの記録のメモではないかと思います。天皇陛下の会見での記者質問は多くありましたから3枚目のメモの後にもメモはあったと思いますが、捏造した者はこの後のメモを取り除き、都合のよいことが書かれているメモを4枚目として加えたのだと思います。
以上、非常に話は長くなりましたが、私の見解を述べさせていただきました。もし私の見解が的を得ていると判断されましたら、あなたのブログで取り上げていただき、世間に向けて発信していただきたくお願いします。
城岡辰矢
取り急ぎご紹介しておきます。
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