2010年11月30日

日本も空母を建造しよう

日本も空母を建造しよう

造船業の復活と景気回復、メリットは図り知れない。

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「一瞬で焼け野原に」 韓国メディアは米空母に関心集中

 黄海で28日始まった米韓合同軍事演習に参加している米海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンに関し、韓国メディアは「たいていの国は焦土化できる」「一瞬で一地域を焼け野原にする」などと大々的に報道している。

 韓国各紙は24日に米海軍横須賀基地(神奈川県)を出港する際の写真や図解を付け、空母を詳細に紹介。イージス艦と合わせ、黄海に展開すれば北朝鮮全域を攻撃範囲に収めるとしている。東亜日報は27日付朝刊で「米イージス艦には平壌の労働党庁舎も攻撃可能な巡航ミサイルが約100発搭載されている」と報じた。

 演習は、砲撃戦の現場から南方に百数十キロ離れた黄海上で実施されており、ハンギョレ新聞は「北からの(演習への)攻撃は難しい」との軍関係者の見方も紹介した。

(共同)2010.11.28 15:41
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/101128/kor1011281542008-n1.htm

 
 日本の核武装化を主張することは容易いが、日本が核拡散防止条約に批准し、今なお国連に敵国条項が存在する中では、その核兵器の開発保有はかなり難しいと言わざるを得ません。

 しかし、原子力空母を保有することは、国際的に何らの制約を受けるものではなく、我々日本人が建造を決意さえすれば明日からでも始められることです。

 戦前、大日本海軍は太平洋に燦然と輝く大艦隊を浮かべ、当時としても世界最大の軍事大国であった米国海軍と対峙して、あの大東亜戦争ではわが国の戦艦や空母は米国海軍と戦火を交えたのです。

 日本は戦後空母を建造・保有することを止めて来ましたが、その技術力が現在喪失したということは考えられず、その気にさえなれば空母を持つことは短期間に出来るのではないか。

 既に評論家の櫻井よしこさんもこのことについて言及し始めています。

子ども手当廃止で、中国膨張を抑止できる空母作れると櫻井氏

 軍備を拡張し、周辺地域への野心を隠さない中国。“大中華帝国”の実現を目論んでいるとジャーナリストの櫻井よしこ氏は指摘する。そうした中国の野望をくじくにはどうすべきなのか。

**************************** 中国の膨張を抑えるためには、その地域への米国の関与が絶対に必要です。だから、日本は日米同盟をより強固なものにすることが重要なのです。

 本国から遠く離れているため、米軍の東シナ海、南シナ海、インド洋における中枢戦力は空母になります。しかし財政状況の悪化から、オバマ政権は軍事予算を5年間で約10兆円減らし、空母も現在の11隻から9隻にするとしています。

 その分、日本が果たすべき役割は相対的に大きくなります。日米安保条約を対等のものにするためにも、日本は米国の弱い部分を補完する工夫をしなければならないと思います。

 例えば、こんなことも考えてよいでしょう。空母1隻の建造費用は約2兆円ですから、日本が一部を出資して空母を米国と共同で建造、保有し、オペレーションも共同で行なうようにする。

 現実には難しいのは当たり前ですが、要はそれだけの前向きな姿勢を示すことが重要なのです。無論、現行憲法のもとで日本が空母を持つという議論をすること自体、無理でしょう。空母保有論のはるか以前に、自衛隊をまともな軍隊にするための法改正や憲法改正が重要なのですから、それらのことも含めて議論を進めるべきです。
 
 もし、国民的な国防意識が高まり、憲法改正を経て空母建造への協力が実現できれば、この空母は日米同盟のシンボルとなり、アジアの平和にとっても世界にとっても大きな意味を持つはずです。

 子ども手当は月額1万3000円の現在でさえ、年間約2兆2500億円の予算がかかっています。そのわずか1年分で日本は空母を持つことができるのです。

※SAPIO2010年12月15日号

 だいたい海洋国家として広大な海域を防衛する必要があるわが国が、空母を持たないということのほうがおかしいのであって、これは支那・朝鮮などが「日本は過去の侵略の反省もなく、再び軍事的野心を抱いていることは確実だ」などと言われるからこれまで建造してこなかっただけの話です。

 しかし、支那・朝鮮(韓国)だって空母を持つ為に、もう具体的に動き出し建造計画を着々と進めている以上、何らそのような難癖に応じる必要はなく、こちら側は粛々と防衛力の整備に向けて動き出せば良いのです。

 普天間基地の県外移設問題は、今後の日米間の大きな問題となりますが、それには一番良いアイデアがあります。その費用は軽く1兆円を越すと見られています。

 日本は憲法9条などの関係で空母を持つことが現状では困難ですが、この1兆円で空母を造ってそれを米国に貸与します。その寄港地を国内のどこかに整備することは可能でしょう。

 日本が現在空母を建造・保有したとしても、それを運営するにはそれを守る護衛艦隊なども必要ですし、それなりの訓練も大事です。貸与しながら日本も学ばさせてもらうということです。

 1兆円あれば空母2隻と周辺寄港地の整備は可能という試算を以前ネットで見たことがありました。空母を建造することは大変な内需拡大になり景気の回復につながります。

 何よりも支那や北朝鮮の軍事的脅威に対する最大の抑制となるわけですから、日本はそのことで暗礁に乗り上げた沖縄基地問題の解決を図るべきではないでしょうか。


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2010年08月15日

8月15日に想う・日本人としての責務

 
8月15日に想う・日本人としての責務

 今歴史に何を学び、何を伝えて行くのか

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 父の49日の法要も終えました。
 正式には先々週の土曜日の35日目に早めて行ないました。その後に改めて父の遺品などを整理して、父が生きた時代の日本を顧みることが出来ました。

 父のアルバムは本当に幼い頃に見たことがあったくらいで、その後大人になってからは見たことがなかった。その父の若い頃のアルバムを今回見たが、軍服を着た写真ばかりでした。

 中でも圧巻だったのは靖国神社の境内で数百人が座っている姿でした。その数百人の兵士の中から、父の姿を見つけるのにずいぶんと時間を費やしました。

 父は鋭い眼光を放っていました。勿論父だけではありません。にやけた顔をしている人は一人もいなかった。この写真はおそらく日本を離れ遠く外洋に向かう時に撮られた写真ではなかったのかと思いました(父は海軍兵でしたので外洋という言葉を使わせて頂きます)。

 よく本などで目にする「靖国で再び会おう」と心に誓って戦地に赴いた時の記念すべき写真の一枚であったと思います。その戦友の多くが亡くなったと父は話していました。

 乗っていた航空母艦が撃沈されて、多くの戦友は帰らぬ人となった。また特攻隊機を何機も送り出したと聞きました。甲板で隊員が水盃を交わして飛び立って行く姿は、一生忘れられない光景とも言っていました。

 実はこのような話は直接私が父から一対一で聞いた話ではなく、昔は実家で様々な行事がありました。例えば近くの神社のお祭り、或いは法事などで、親戚の人がやって来たときに、父と同年代の人が話をしているのを小学生の頃に聞いて知ったことです。

 直接父から聞いた戦争の話は一回だけです。それは最後に書かせて頂きます。

 近所の人や親戚の人が来ると、決まって一番上の席に座る方がおりました。私の祖父は瀬戸家に婿入りしたのですが、その祖父の兄がその人です。その方の胸には大きな勲章がつけてあった。金鵄勲章(きんしくんしょう)と呼ばれたもので、日露戦争に出兵したときに頂いたそうです。

 いつもこの方が来ると、その周りには人が自然と集まってその時の話が聞こえて来ました。幼心にもやはり負けた戦(いくさ)の話題よりは、勝った戦の話のほうが誰でも楽しいのかな−などと思ったものです。

 我が家では父の兄が戦死しました。陸軍だったそうですが、支那大陸から一旦は日本に戻ったが、戦場で受けた傷がもとで亡くなったそうです。

 家の玄関にはブリキでつくられた小さな金属板がかけられていた。青い色の中に白い文字で「戦没者の家」と書かれていました。一番上に小さな日の丸があった。青、白、赤のコントラストが今でも目に焼き付いています。

 祖母は生きている間、この戦死した息子の位牌に手を合わせてから食卓に向かいました。今自分たちこうやって生きているのは、息子達が祖国の為に戦ったから、感謝の念を捧げなければならないと私は子供の頃から教わりました。

 家の床の間には天皇陛下の御写真がいつもあり、そこにも深々と礼をしていたのが今でも忘れられません。私はそのような家庭で育ちました。国を愛する気持ちとはそのような家庭環境で育ったから、誰に教わるまでもなく心に育まれていったのだと思っています。

 しかし、現在このような環境は殆どなくなりました。自分が教わったことを、自分の子供にどうやって伝えるべきなのか? 私だけでなく多くの我々の世代がそのことを思い悩んで来たのではないでしょうか。

 最後になりますが、私は父と母には散々迷惑をかけました。家を飛び出して5年間ほど一度も親の顔を見ずに、会ったのは拘置所の鉄格子の面会場所でした。

 この時私は父から愛国心という言葉を初めて聞いた。

 私はその頃右翼団体を率い愛国とは何か−などと言いながらトンデモない事件を起こした。そのことに対して父が私に初めて語った言葉です。私はいつも周りの若い人達にはそれを教えています。

 父は終戦後父島に米軍によって抑留され、2年後に日本に戻りました。大きな船の底に百人以上の仲間と共に日本に向かったそうです。生きて帰れるとは誰も思わなかったそうですが、ようやく日本に戻れる時がやってきた。

 嵐で船は大きく揺れて船底に横たわる人は皆酷い船酔いで大変だったそうです。朝方「日本が見えるぞ!」という一人の声がした。しかし、船酔いで誰もが立ち上がれない。

 その時に皆芋虫のように這いずりながら甲板に上がって行った。そして甲板の上で皆で支え合って起ち上がり、祖国の姿を見ることが出来たその嬉しさで泣き崩れた。

 父は無我夢中で戦って来たので、それまでは余り意識して来なかったが、この時に強烈な愛国心を感じたと言っていました。

「お前もこれから生きていく中で、そんな状況に出会うことがあれば、本当の愛国心が何か分かるだろう」

 残念ながら私にはまだそのような経験はない。本当にこの国を守って戦っていた我々の祖父や父の世代から比べれば、口先だけの愛国心なのかも知れません。

 しかし、父や母から学んだ戦争体験は、悲惨なものばかりではなかった。多くの仲間と共に祖国日本の為に死力を尽くしたその人生はやはり我々の胸を打ち感動を与えてくれます。

 靖国神社とは明治維新後の日本が、日本人が幾たびかの困難に対して祖国の栄光と民族の繁栄の為に戦ってきたその気持ちが凝縮された場所でもあると思います。

 各家庭では戦争にまつわる会話も、そのような写真や遺品も姿を消す中で、それを後世に伝える神聖な場所としての靖国神社の価値は今後も増すことはあっても決して消え去ることはないでしょう。

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2009年12月08日

大東亜戦争開戦日に想う

大東亜戦争開戦日に想う

過去エントリーと映像の紹介

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 本日は大東亜戦争の開戦日でもあります。これまで何度も書いて来たことなので、それを紹介したいと想います。

極右評論時代 2005年12月8日

 歴史は敗者によってのみ正しく伝えられる。

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我々《極右》は共産主義の独裁国家・中国、北朝鮮の軍事的威圧に対しては、『日米共同覇権』の確立によってこれを撃退して、東アジアに民主的な国家を誕生させる闘いの重要性を訴えています。

ただ、かって半世紀前に米国を相手に勇敢に戦った、我々の祖父母や父母の精神を忘れた訳ではありません。常に大東亜戦争を検証し、歴史は敗者によってのみ、正しく伝えられるとの信念に基づき活動しています。

記念すべき12月8日、半世紀前の父祖達を想う。

 12月8日という日がやって来ても、それは365日の中の単なる1日、寒い冬の1日でしかない。そのような認識しか持たない世代が今日の日本社会の中枢を占めるに至った。しかし、明治維新後の日本にとって、この12月8日という日こそは、絶対に忘れてはならない日であり、この日の持つ重要性を我々は永く語り継がなければならない。

 昭和16年12月8日、大東亜戦争は日本海軍のハワイ諸島・真珠湾への攻撃によって始まった。大正末期より昭和初期に至る日本を包む暗い重圧感は、この日未明の大本営発表と共に吹き飛び、多くの日本人にある種の解放感をもたらした。

 この時、老若男女を問わず、全ての日本人は血の湧き立つのを覚えてであろう。それは明治維新の偉業を成し遂げた若き志士たちを想い、それを継承し西欧人の独善と欺瞞と横暴の上に打ち立てられた植民地支配を粉砕し、アジアの独立と解放を目指すという大理想に日がついにやってきたことへの喜びでもあったのです。

 大東亜戦争の歴史的考察の一面を見る時、明治維新後の近代日本が宿命的に背負わなければならなかった道が、戦争という不幸な手段であったことを認めないわけにはいきません。しかし、そこには日本人の国際社会に対する目覚めと、自らの意志と力量を持ってアジアの解放を達成するという強い自覚と信念に満ちていたのです。

 この日本人の考えと行動、先覚意識は多分に情念的なもので、いわば結果を余り深く考えないで突っ走った面もなきにしもあらずでしょう。これは後日の自己反省の材料であっても、他国からいわれなき追及をされるべき罪悪とは一切関係がないのです。

 この民族一丸となって、欧米列強と戦った大東亜戦争の崇高なる理念を我々《極右》は決して忘れないし、これを今後も永く語り継ぐことを本日、靖国神社に参って誓うものである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この大東亜戦争の大理想は、日本の敗戦という現実によって打ち砕かれましたが、我々はこの戦争の敗北を何ら恥じることはありません。もし恥じるとしたら、それはこのような大理想を忘れ、侵略戦争であったという汚名を甘んじて受け入れてきた、この戦後日本の民族の魂の空白化に対してではないでしょうか。

 下記のような事実を今の日本の若者は余り知らないので、二つの国の例を挙げて説明します。

インドネシア

 インドネシアがオランダとの独立戦争で勝利したのは、日本の兵士がインドネシア軍と共に戦ったからでした。日本が無条件降伏後もインドネシアには500人以上(2000人との説もあります)の日本兵が自ら残ったとも言われています。

 インドネシアの首都ジャカルタにはムルデカ(独立)広場があり、その中央には高さ137メートルの独立記念塔がそびえています。
 この塔の下に昭和20年8月17日にスカルノ元大統領とハッタ氏が署名した「独立宣言書」が安置されている。

 この日付は「17−8−05」となっていますが、この05年とは「神武紀元2605年」という意味です。日本の「皇紀年」を使って、国家の独立宣言書に何故記述したかですが、インドネシアという国家誕生にいかに日本人が尽くしたかを、インドネシアの人々は知って感謝しているかの証左なのです。


インド

 インドのラダ・クリシュナン大統領は1957年来日した時に次のように述べています。

「インドが今日独立できたのは日本のおかげであり、それは一人インドだけではなく、ベトナムであれ、カンボジアであれ、インドネシアであれ、旧植民地であった諸国は、日本人が払った大きな犠牲によって独立できたのです」

 先帝陛下(昭和天皇)崩御のおり、インドネシア政府は世界のどの国よりも早く、大喪の礼に対してスハルト大統領(当時)の参列を発表しました。

 インド政府は天皇陛下の崩御を悼み、国家として7日から9日までの3日間を喪に服すことを決めた。隣国のハク大統領が死亡した時には1日喪に服すことを決めたが、この3日間は極めて異例でした。

 大東亜戦争を侵略戦争と罵るのは米英と支那・朝鮮だけであるということがこれでお分かり頂けると思います。


大東亜戦争の世界史的意義

1) http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
archives/51002416.html

2) http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
archives/51004612.html

3) http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
archives/51006714.html

4) http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
archives/51008964.html

5) http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
archives
/51010895.html



大東亜戦争開戦日の演説

維新政党・新風 せと弘幸氏街頭演説(名古屋駅西口 20年12/7)1
http://jp.youtube.com/watch?v=Cr-DrfvE6r0

維新政党・新風 せと弘幸氏街頭演説(名古屋駅西口 20年12/7)2
http://jp.youtube.com/watch?v=Tg3m3jVBchQ

維新政党・新風 せと弘幸氏街頭演説(名古屋駅西口 20年12/7)3
http://jp.youtube.com/watch?v=UiwMyHk_BDA


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2009年12月06日

<活動報告>五百旗頭・防大校長糾弾行動

<活動報告>五百旗頭・防大校長糾弾行動

五百旗頭 真・防衛大学校長の『産経志塾』講師を取り消せ!

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 報告が遅れてしまいましたが、金曜日に行なわれた『主権回復を目指す会』の産経新聞社前の抗議行動に参加しました。

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 丁度私の友人が偶然通りかかって話を聞いていたので、挨拶をしたら「五百旗頭って何と読むんですか?」訊かれました。「いおきべ」と言うらしいですよと答えたら「何か意味があるのかな?」と再び訊かれた。

 これには私も答えられず、後で調べてみました。この名字は全国に200人ほどしかない極めて珍しい名字らしく、由来は次のようなモノらしいのですが、私には詳しくは分かりません。

 「五百旗頭  イオキベ、景行帝皇子五百城入彦命の御名代部。現在、阪神地域に多い。 」

 旗頭というのは一群を率いるリーダーという意味なので、500人からの手下を率いるという重要な立場にいるということに理解できるのではないでしょうか。

 その意味では現在防衛大学の学長という立場にあるわけですから、名字に相応しい重要な立場にあるのですが、実はこの学長は極めて評判が悪いのです。

 ネットでそれを検索したので紹介します。

それ以上に私が驚いたのは、防衛大学校の校長の五百旗頭真(いおきべ・まこと)氏の思想です。
五百旗頭氏の外交史研究からは、私も多くを学んできたが、下記でも触れたように、氏の、拉致問題に関する姿勢(「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。 ... その後五百旗頭氏が認識を改めたことを願うが、次代の国防を担う若者たちが、 ...

 このような五百旗頭 真防衛大学学長の辞職を求めて、戦って来たのが「主権回復を目指す会」と防衛大学のOBの方々でした。

五百旗頭校長が口にする媚中・媚韓を糾弾・揶揄のプラカードを掲げるとともに、 ... 五百旗頭 ... 世界の法曹界で誰もが取り沙汰しないこのゴミを日本人に突きつける五百旗頭は、まさにシナ・中共の犬であると共に国賊であり、 ...


 私はこの活動には初参加となりました。別に遠慮したわけでもなく、仕事上のことで日程が合わなかっただけですが、今回参加者の特にマイクを握った防衛大学OBの人達の演説を聴いていて怒りがこみ上げて来ました。

 現在の反日民主党政権下の防衛大学校長ならまだ分かりますが、自民党時代のそれも小泉・安倍・麻生時代においても、このような学長が罷免されなかったことが不思議でなりません。

主権回復を目指す会の資料

 特集:五百旗頭の罷免運動 INDEX

PeeVee.TV版
(1/3)売国校長を「高名な学者」と持ち上げる産経新聞の堕落・衰退
http://peevee.tv/v?65ij57
(2/3)売国校長を「高名な学者」と持ち上げる産経新聞の堕落・衰退
http://peevee.tv/v?65ilc0
(3/3)売国校長を「高名な学者」と持ち上げる産経新聞の堕落・衰退
http://peevee.tv/v?65io06
YouTube版
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再生リスト
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2009年08月26日

【広島】左翼の偽善的な平和運動

【広島】左翼の偽善的な平和運動

原爆禁止平和運動を食いモノにしてきた左翼

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 田母神前空幕長「広島平和記念式典は左翼運動」と発言

 前航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄氏が25日、宮崎市の繁華街で、衆院選宮崎1区に立候補している無所属前議員の応援演説を行い、広島市で6日に行われた平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)について「日本弱体化の左翼運動」などと発言した。

 田母神氏は広島原爆忌の6日に広島市で講演したことに触れながら、式典の参列者について「広島市民も広島県民もほとんどいない。原爆の被爆者も、被爆者の2世もほとんどいない」「並んでいるのは全国からバスで集まってきた左翼ばかり」などと述べた。

 この発言に対し、広島県原爆被害者団体協議会の坪井直(すなお)理事長は「真実とはほど遠い。相手にもしたくないが、間違ったことが風評になることは止めなければいけない」と憤る。広島市原爆被害対策部の担当者は「事実誤認であり、コメントできない」としている。

8月25日20時35分配信 読売新聞

 このニュースで名前の伏せられている田母神俊雄氏が応援演説をしたのは、自由民主党の前代議士中山成彬(宮崎1区)候補です。尚、今回は無所属での立候補となっています。

 さて、この田母神氏の言葉は正しいことを言っています。

「広島市民も広島県民もほとんどいない。
>原爆の被爆者も、被爆者の2世もほとんどいない」
>「並んでいるのは全国からバスで集まってきた左翼ばかり」などと述べた

 本当のことをズバリ指摘されたので左翼は反発し、左翼偏向マスコミは田母神発言を問題として叩くことでしょう。私から言わせれば本当のことを指摘された左翼がうろたえているのが余りにも滑稽で笑うしかない。

 ついでに私のほうから、もっと凄いことをお知らせしましょう。

 それは「全国からバスで集まってきた左翼」自分のカネで旅費を払っていません。我々の税金を使って、つまり自分達はただ同然で広島まで観光旅行気分で来ているのです。

 私はかつてと言っても相当旧い話ですが、昭和61年それを調査して暴露したことがあります。それは地元・福島市においてです。当時私が地元で発行していたミニコミ紙に記載された記事を紹介しましょう。

(ここからが当時の記事)

 原水爆禁止世界大会に毎年全国各地から社会党の議員や共産党のの議員らが参加しますが、この広島や長崎の大会に参加する際に、その旅費、宿泊費は我々が納めている税金から支払われている事実は意外と市民には知らされてはいません。

 自分達の思想信条に基づいて行くのですから当然、旅費・宿泊費は自分達の負担と思いきや、どういう訳か市役所からその経費は出されていました。

 これらは慣例化しており社会・共産両党のこの乞食根性丸出しの姿に本紙は幾度なく抗議してきましたが、今年も福島市の秘書課に対して抗議を行ない、次のような回答を得ました。

 ちなみにこの経費は議会事務局などからの出費ではなく、市長の交際費から長年出されて来ました。

問い:何故特定の政治勢力である社・共両党の議員に、その旅費・宿泊費を出すのか?

回答:唯一の被爆国・日本の平和を願う国民運動として定着しており、社会・共産の政党が参加するということではなく、多くの市民も共に参加している平和運動という認識で対応してきました。

 ところで、この昭和61年という時代は実はこれまでとは違った位置づけとなっていた。だからこそ、この時に私は役所に攻勢をかけたのです。

 当初は原水爆禁止運動は分裂していた。原水禁運動が共産系、原水協が共産系に明確に分裂したのは昭和38年でした。しかし、その後、市民団体の仲立ちで一応は統一した大会になっていた。

 しかし、この昭和61年に再び「原水爆禁止広島平和記念式典」は分裂したのです。原因は主導権を巡る社会党系と共産党系の争いであり、この両派の争いに嫌気の差した市民団体も独自に開催し、3団体による開催となった年でした。

 そこで、これまで役所が言って来たところの大義名分である「多くの市民が参加した平和運動」という、その形態が脆くも崩れてしまった。つまり、両者に分裂し、市民団体も開催する「平和式典」などは、左翼の政治集会以外の何ものでもないという訳です。

 この時に社会党、共産党の参加者2名には合計で15万円が市長の交際費から出されていました。

 自分達のやりたいことをするのに、他人のふところを当てにする。ましてや市民の納めた税金を横取りするような、そんな運動はまさに偽善的な運動と言っても言い過ぎではない。

 おそらく全国の自治体でもまだこの慣例は残っていることでしょう。この田母神氏の発言を問題にするなら、この際徹底的に旅費・宿泊費を洗ったら良い。思わぬ収穫が期待できるというものです。

 『真・保守市民の会』(遠藤健太郎代表)から、今回の選挙で推薦する立候補者の氏名をメールで頂いていたので、ここで紹介させて頂きます。

平沼グループ

青森1区  升田世喜男
秋田1区  藤井陽光
秋田3区  村岡敏英
山形1区  伊藤香織
栃木4区  植竹哲也
埼玉11区 小泉龍司
東京4区  宇佐美登
静岡7区  城内実
大阪1区  堺井裕貴
大阪14区 三宅博
兵庫4区  石原修三
岡山3区  平沼赳夫
香川3区  真鍋健
徳島1区  岡佑樹
熊本3区  三浦一水

公式ウェブサイト→ 
http://www.hiranuma.org/group/index.html

政策綱領「日本再建」→ http://www.hiranuma.org/koryo.html

該当選挙区にお住まいの会員の皆様へ、是非ともご支援下さいますようお願いします。

改革クラブ  西村眞悟(大阪17区)

公式ウェブサイト→ 
http://www.n-shingo.com/

近畿2府4県の会員の皆様へ、比例では「改革クラブ」にご支援下さいますようお願いします。 注)衆議院の比例投票に個人名は書けません。

自由民主党  中山成彬(宮崎1区)

公式ウェブサイト→ 
http://www.nakayamanariaki.com/

事実上の分裂選挙を強いられています。教育再生にご支援下さいますようお願い致します。

たとえ他から「集票保守行動だ」と揶揄されようとも、実際に政治を動かさなければ右派・保守派の主張が主流を占有できません。国会内はすでに左派・革新派に振れており、自民党でも(細部はともかく)安倍・麻生路線の方向性に間違いはないことを、私たちの投票行動によって証明しなければ、天皇陛下はご皇室を破壊するような国会議員を招集する国事行為に従属させられてしまうのです。

第45回衆議院議員総選挙では恐らく民主党の躍進著しく、政権を奪取してしまうかもしれませんが、私たちは、そう遠くない第46回総選挙を見据えて呼びかけております。どうかご理解を賜りますようお願い申し上げます。


御推薦サイト

<放談8月(2009年)>
トマスおじさん大いに張り切る。“噂のパンドラの箱”炸裂!
http://www.flavour-house.com/honky/message/index2.html

 戦前の社会運動史から、戦後日本の現状を読み解く。


 

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〜新風連ブログ〜

新風連


 

『日刊中央通信』

 女子美術代大学理事の不祥事問題(2)

  
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