【歴史】山口二矢烈士の義挙から50年
中国共産党の手先・浅沼稲次郎を斬奸
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昭和35年10月12日、山口二矢烈士は時期首相と目されていた社会党・浅沼稲次郎党首を屠った。その年11月2日、山口烈士は東京鑑別所の壁に「天皇陛下万歳」「七生報国」と書き残し自決した。今日その日から48年の歳月が経った。弱冠17歳という若さで、日本の赤化を防ぐという神業を成し遂げた烈士は、正に神であった。 (2008年・11月2日)
上は防共新聞社のサイトより写真を転載させて頂きました。一昨年のものです。現在のページはこちらです。→防共新聞社
戦後の右翼民族運動の中で、神とまで言われる存在となったのは、この人物をおいて他にはいないでしょう。三島由紀夫氏も確かに偉大な人ではあるが、私は山口烈士のほうを高く評価する。
神という意味は、悪いものを裁くという意味での神である。本来悪い奴らは裁かれなければならない。しかし、悪党どもがのさばり、この世に<正義>が存在しないのか。
そのような思いが社会に蔓延したときに、裁くべきものを正しく裁くものとしての存在に我々は神の存在に似たものを感じる。それがこの山口二矢(おとや)烈士だったと思います。
このシーンを私は実際にテレビでその日見た記憶があります。当時私はまだ8歳でした。家にテレビはなく、近所の駄菓子屋に子供達が集まっていた。テレビが珍しい時代で皆その家に上がり込んで見ていた。
その時にこのニュース報道が流れた。当時は全くの子供ですから、何が起きたのかサッパリ分からなかった。しかし、自分が大人になるにしたがいこの事件の凄さが分かった。この映像は子供の頃に直接目に焼きついているので、今でも目を閉じると浮かんできます。
大日本愛国党は戦後史の中で一番有名な右翼団体であり、私が右翼活動をしているときには、どこに行っても「あっ! 愛国党だ」と言われたものです。それほどに名前が知られた存在でした。
大日本愛国党の名をここまで高めたのは何と言っても、この山口烈士のこの義挙であると思います。山口烈士は何故浅沼稲次郎を暗殺したのか?
それは当時の社会党が「アメリカ帝国主義は日中共同の敵」などと称して、日本における反米闘争を煽り日本の社会を赤化しようとしていたからです。
もし、この義挙がなかったら今頃日本は支那・中国共産党の支配下にあって、多くの日本人はチベットやトルキスタンのように虐殺されていたかも知れないのです。
その意味ではまさに山口二矢は救国の戦士であった。彼を世間は単なる殺人者やテロリスト呼ばわりしているが、彼こそが本当の意味での「若き英雄」であったのです。
昭和三十五年十一月二日、午後八時三十一分東京少年鑑別所は山口烈士の壮絶な死を発見して愕然となった。同所は昭和二十五年開設されたが、収容少年の自殺は始めてで、さらに、翌朝使うため支給した粉歯みがきを水に溶かし、人さし指を筆にして壁に「天皇陛下万歳、七生報国」と遺書を残していた。
事件後、マスコミが伝えたように山口烈士の警視庁取り調べ、少年鑑別所での態度は、始終非常に落ち着いていた。鑑別所もAランク(成績、素行態度優良者)と見ており、淡々としかもはきはきした態度は自殺の様子さえ現さなかった。
犯罪青年心理研究所の最高権威を自認する同所でも山口烈士の心理状態を見抜けなかったということになる。所長は「重要犯人だから警戒を厳重にするよう」指示を与え、当直員を五人にして巡視を強化していた。午後八時点呼が始まった。烈士は東寮二階一号の単独室だった。正にこの監視時間の間隙を衝いた。シーツを細長く裂き、よって八十センチほどのヒモを作り、天井の裸電球にかけ、ベットの寝具を丸め、これを踏み台として、烈士は法に裁かれることなく、みずからの身を処したのである。
遺体は、三日朝六時半、父晋平氏に付き添われ人目をさけてひっそりと中野区本郷通りの自宅へ運ばれた。報道陣にとり囲まれた父は、「かさねがさね世間を騒がせて申し訳ない。浅沼さんや遺族の方の事を考えると二矢がかわいそうなどといえたすじあいではない。ただ親として気になるのは、あの事件のため私も職を失いこれからの生活設計に困っているということを、二矢が知り、悩んでたということだった。せめて”そんな心配はいらない”といってやりたかった」と低い声で子を想う親としての心情を語った。
無言で家に帰って来た烈士の棺の上には、鑑別所の庭に咲くダリヤの花がそっと添えられていた。
上の写真と文章は下記サイトから転載しました。
http://home.s02.itscom.net/boukyou/yamagutiryakureki.htm
私はこの上に紹介された親の気持ちを思う時、涙なくしてこの言葉を紹介できない。
>「ただ親として気になるのは、あの事件のため私も職を失いこれからの生活設計に困っているということを、二矢が知り、悩んでたということだった。せめて”そんな心配はいらない”といってやりたかった」と低い声で子を想う親としての心情を語った。
親思いの青年だったのでしょう。心優しき青年であったからこそ、浅沼のような売国奴が許せなかった。謹んで哀悼の意を表したいと思います。
お知らせ
【10/12】山口二矢烈士顕彰「売国奴を討て!」全国連帯愛国行動の呼び掛け
本年10月12日は、山口二矢烈士の義挙から50年となります。山口烈士は昭和35年10月12日に国賊浅沼稲次郎に天誅を下し、11月2日に自決されました。
御命日の11月2日の午後6時からは、義挙の現場である日比谷公会堂において、五十年祭が斎行されます。
そこで義挙当日の10月12日には、山口烈士の義挙を顕彰し意義を啓蒙するため、山口二矢烈士顕彰「売国奴を討て!」全国連帯愛国行動を展開することを呼び掛けます。
呼び掛け人・桂田智司、坂田昌己、福田邦宏、舟川孝、細田政一、前谷祐一郎、森川照男
[事務局]〒170−0003東京都豊島区駒込6の27の11
電話03−3918−9524(三澤浩一)
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東京においては義挙当日、山口烈士の顕彰行進を左記の通り行います。日比谷公園には、義挙現場の日比谷公会堂があります。また、若手活動家を中心とする演説会も開催されます。
[日時]
10月12日(火)
12:00 集合
12:30 出発
14:30 到着
15:04 義挙の時刻
[会場]常盤公園(東京都中央区日本橋本石町4−4−3)
[順路]常盤公園〜東京駅前〜銀座〜数寄屋橋〜新橋〜日比谷公園
[演説会]10月12日(火)12:00〜
山口二矢烈士五十年祭[日時]11月2日(火)午後6時開会(5時30分開場)
[会場]日比谷公会堂[参加費]1000円
[事務局]山口二矢顕彰会
※本日上京予定ですが、昼過ぎになるので参加は致しません。ご紹介だけです。参加者の皆様に心からの声援を送りたいと思います。
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