思い出すのはオウムではなく
それを指揮した指揮した井上才彦先生でした

ネットで調べたら次のようなニュースを見ました
以上
2024/6/3 -今日は、母の命日‼️ 同じ日に講道学舎を長きに渡り支えてきたママさんが亡くなりました。 何か運命を感じます。合掌 #講道学舎 ・ #古賀稔彦.
講道学舎を設立したのが中山氏ですその娘さんがお亡くなりに
なっていたことを知りました日本柔道がオランダのへーーシンクに
敗北したことで危機感を持ち私財を投じて作られたのがこの
講堂学舎でした、私はその機関紙をお手伝いをした、その経緯で
講堂学舎OBに赤い先生がおられその縁で当時理事長をしておられた
井上先生ともお会いしました、先生は当時東京ガスにおられ、
そこで話を聞いた、先生はオウム真理教の捜査に当たられた
詳しくは書きませんが、この時の会話は今でも覚えています、
警視庁は松本市で起きたサリン事件に疑いを持ち、サリンを持って
いると確信し強瀬捜査に踏み切る寸前にあったがオウムはそれを
やってしまった、と悔やんでおられました、
オウム真理教との戦い、などの話は自叙伝に書くつもりです
井上先生はその後山梨県知事選挙の立候補され落選となり、私も
練り歩きなどに同行しました
※講堂学舎からは吉田・古賀さんらが金メダルに輝き村上選手も
メルボルン大会で金メダルを取りました、吉田・村上氏はその後
格闘技に移られ私も見に行きました