環衛合同ビル事件

このビルに拠点を構えたのはまだ30代の前半でした。
この時、丁度私が福島に戻っている時にある事件が起きた。
この事件については私は自首を勧め、それに反対し逃亡したグループもいた。
この件については罪を償った人もいて現在立派に更生した人もいれば既にお亡くなりになった人も多い。よって私はもう触れないことにする。
問題はこの事ではなく、日本民族独立義勇軍の事です。
私はその事件の首謀者を知る人間として疑われ、私以外と交流があった人も疑われ迷惑をかけた。
日本民族独立義勇軍が神戸の米国領事館に侵入し松明で火をつけた事件です。
未だ大東亜戦争終わらずの声明を出した。
「ワガグンは西南日本において米国外コウ公館をコウゲキせり」
その後、赤報隊と名を変えて事件を繰り返したが、私は独立義勇軍の首謀者と面識はあった。その人物に違いないと確信していたことを時効成立後に訪ねてきた朝日の記者に告げた。
それは朝日の記者が思ってきた人物と私が考えてきた人物と一致したからでした。

一連の朝日新聞襲撃事件の時効を迎え、阪神支局襲撃事件の捜査本部の看板を下ろす捜査員
(2003年3月11日)