2024年01月30日

自叙伝 使途不明金 (2)

自叙伝 使途不明金 (2)

福島県を揺るがす


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私は市内で怪文書を見つけた。


昭和53年9月頃でした「どこへ消えた200億円、暴かれたドラキュラ小針の正体」と書かれた文書でした。


怪文とは出所不明の文書であり、誰が書いているものか不明でした。


政商とか、怪商とも呼ばれる不可解な人物である。

しかし、その人物は福島交通、福島民報という、公共性の高い会社の社社長です。

私は興味を持ち調べ始め、その結果を書き始めた。

ルポルタージュというペラペラの裏表2面それを数百部刷り配ることにした。それが意外に好評で資金が寄せられた。

購読料一万円で私の口座に30万円が振り込まれた。

気をよくした私は本格的に調べて取材を始めたのがその直後。

昭和59年3月23日の朝日新聞の県内版に書かれたのは7日後です。

50億円の使途不明金がありその大半があると書かれてあった。

実はこの頃私のルポルタージュは、
既に30回以上になり、この間、私が出す新聞は100部を超えていた。

マスコミ各社も報道し始め、私も報道特集なるテレビ番組に出演した。


昔はこの映像もありましたが、今はネットにはありません。


昭和53年からマスコミがこぞって報道する前の6年の間、私が何をして食べていたのか、それを疑問に思った人もいるかもしれません。


私はすぐにそのグループというか、リーダーの人とお会いした。それを紹介したのは、
徐才喜の冤罪事件を掲載した、政経東北の社員でした。

この6年間、私は東京である雑誌『フリーライター
の編集部で働いていた。それが岩崎定夢氏という恩師の経営するフリーライター社です。

この先生とは長い付き合いとなります。

岩崎先生のところで働く前に私が勉強のために訪れていたのが、正論新聞を出していた、三田和夫先生です。

横井英樹襲撃事件で犯人隠避容疑により逮捕される。25日間を留置場ですごし帰宅する。当時の新聞で、自身が愚連隊の一味として書かれていたという。読売新聞を退社し、翌年に三田コン株式会社を設立するも、2年ほどで倒産してしまう。以後、フリージャーナリストになる。

1967年、株式会社正論新聞社を設立する。1968年2月、松本清張の小説『深層海流』に三田の『赤い広場―霞ヶ関』からの盗作が十数か所見られるとして松本を著作権侵害で告訴するが、同年7月不起訴処分となった


以上

三田先生は、横井秀樹を襲撃した犯人を庇ったとして読売新聞を退社させられた。

私が三田先生の事務所に行くと、正論新聞が高く積まれていた。

この新聞を福島に戻ってばら撒けと少しばかりの経費を貰いばら撒いた。

三田事務所に戻って私のルポルタージを見てもらうと、次のように言われた。

新聞とは横タイトル、縦タイトルがあって、写真を一枚か二枚、後はどぎつい言葉で書く。

相手が自分が攻撃されて居ると分かればそれでよい、そこが重要なところだ。

なるほどと思った。

明日からまた現在の問題を取り上げます。




Posted by the_radical_right at 08:48│Comments(2)mixiチェック 自叙伝 
この記事へのコメント
>福島どころか、日本が、世界が騒然となった、そんな時代でした。

ご指摘のことは表面の現象にすぎず、あったのいは、我が国経済が世界へ進出して、大きな経済力を持ち。やがてソ連が崩壊して、我が国経済が衰退していく道でした。
 明治初期は国粋主義にもとずくもので自身のことは関係なくあくまで国家への忠誠にもとずくものだった、個人攻撃ではなく、国政特に外交政策への抗議で、それが各個人の不満にもとずく、個人攻撃へと進んだ。その見本は安重根の伊藤博文暗殺です。彼は調子こいたことを言っているが内実は違う。
 やがて政府要人から社会人へと進んでいき、何故、暗殺したかが不明となった。それは我が国の資本主義化が進み、貧困が元となり、戦後はご破算から、出発して、さらなる資本主義化が進み、対応できない階層が生じ、その人々が個人ではなく社会への攻撃へと進んだ。思想的というが空想が元となって、資本主義に反感を持ち、対応できないか、またはそれがだめという考えから、行動した。資本主義に対応できない、人々の貧困化がもとになった。つまり、貧乏人の行動となった。そのように自己認識をしていないかも知れないが、深層心理はそれだと思う。
 今後は階層が大きく分かれ、金持ちのと貧乏人の落差が大きくなり、しかも貧乏人から這い上がるより、上層部から落ちてくる人が増えるから、いかなる事件が起きるか、予測ができない。
 明治以降、我が国の資本主義化が大本で、生じた、金持ちと貧乏人の抗争、つまりそれに適応できた人々とできなかった人の抗争が背後にあったという視点で、明治以降を見る人は少ない。社会学者がそれを調べてくれるといいと思っている。
 
Posted by 日本人 at 2024年01月30日 20:49
5
◼️正論新聞・・・世界は危機へ

 「東北の小佐野」追求は、ご自分で嗅覚を働かせたものでしたか。福島に住んでいるわけでもない未成年の自分が何となく記憶している位です。大騒動だったのでしょう。後の同志・四宮さんも野依秀市氏(独自の出版活動と愛国運動)の下で「修業」を始めた頃でしょうか。

 正論新聞・・・代々木駅前の書店で初めて見かけました。勇ましい名前が気になり購入しました。昨日、市民さんが記述していました。第2次安保騒動は乗り切ったものの、一部は爆弾闘争へとより先鋭化、またあるものはパレスチナ、そして北朝鮮に期待し、日本革命への支援を画策し始めます。ベトナム戦争も泥沼化、原爆を保有した中共の影響力増大、それと共に政界でも与野党を超えて親中共派の急速な増殖。国連発足以来の安保理常任理事国・中華民国の地位が危うくなるまさかの事態。ソ連一国でも機能不全に陥りがちな国連に中共が乗り込んできたら一体どうなるのか。

 福島どころか、日本が、世界が騒然となった、そんな時代でした。
Posted by のらくろ at 2024年01月30日 10:26

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