角福戦争
角福戦争と福島
マスコミデビュー
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昭和50年代前後に自由民主党内で繰り広げられた、田中角栄と福田赳夫との間の政争。佐藤栄作首相の後継を巡る争いに端を発し、一般に田中派が勝利したとされる。
私はこの時に取材した内容を単行本にまとめ出版しました。『使途不明金』という題名でした。
財界を揺るがす小針歴二「福島交通、福島民報疑惑」――どこに消えた疑惑の実弾・黒い現金。福島交通、福島民報の幹部が証言した・驚くべき真実。
日本債権信用銀行と結託して政治権力を背景に利権を漁り、一介の不動産会社から、中央政界にまで影響力を広げた小針コネクション、東北の小佐野とまで言われた、その全貌に迫る。
小針は福田赳夫に巨額の献金をして支えていた。対して田中人脈は激しく抵抗していました。
お詫び
本日はまたパソコンが調子が悪いので、これで終わります。
Posted by the_radical_right at 08:06│
Comments(5)│
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>>1
そうそう思いだしました。ここは福島の方が訪れると思いますので・・・
◼️小室直樹博士の角さん弁護
小室直樹先生に尋ねたことがあります。
「先生、角さんを応援されるのは会津ー長岡の連帯がありますか。」
「そりゃそうです!」
実にキッパリとした返事でした。ところが面白いのは、著書にはそのような記述は1行も出て来ません(と思います)。著書では、あくまでも純政治論、法律論で角さんを弁護されています。
◼️『使途不明金』でデビュー
相手の嫌がるカネの流れを追っていくのは大変なことと思います。そのような「調査報道」的な経験が、後の「関生ナマ討伐戦」等に活きることになったのだろうと思いました。
アメリカと関係が深い東京地検特捜部
田中角栄はアメリカに消されたのかな
米国は田中角栄にベトナム派兵をするように要請したが
田中角栄は姜妃したとか
今回の瀬戸さんの投稿で思い出しました
ということは鈴木宗男逮捕も…
せと先生の著作 読んでみますね
https://www.amazon.co.jp/%E4%BD%BF%E9%80%94%E4%B8%8D%E6%98%8E%E9%87%91-%E3%81%9B%E3%81%A8-%E5%BC%98%E5%B9%B8/dp/4905587840
>角福戦争と福島
>マスコミデビュー
角福戦争は1970年頃から、竹下登が内閣総理大臣に就任する1987年(昭和62年)まで続いたそうですから、かなりの長期戦だった訳です。
田中角栄と言えば50年前の田中金脈問題で総理を辞職するという政治スキャンダルが起こりました。
この詳細は1974年10月発売された雑誌『文藝春秋』11月号で立花隆の「田中角栄研究―その金脈と人脈」とし特集が組まれかなりの話題になった事を記憶しています。
次いでながら、50年前と言えば東アジア反日武装戦線と称する人殺しの集団によって三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件が頻発した年でもあります。
この東アジア反日武装戦線と称する人殺しの集団の一味であった桐島聡が末期がんで本日死亡したそうです。
公安の完全敗北」「全て闇の中」桐島聡容疑者を名乗る男性が死亡…わずか3日の急転にネット絶句
https://news.yahoo.co.jp/articles/44fa6427396b112f3e61989d8ffdf4b1c451e9d1
角福戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E7%A6%8F%E6%88%A6%E4%BA%89
田中金脈問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%87%91%E8%84%88%E5%95%8F%E9%A1%8C
東アジア反日武装戦線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%8F%8D%E6%97%A5%E6%AD%A6%E8%A3%85%E6%88%A6%E7%B7%9A
連続企業爆破事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BC%81%E6%A5%AD%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6
三菱重工爆破事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6
角福戦争は私もおぼえている。東大出と小学卒との戦いだった。
母親は女には学歴はいらないだったが<断然角栄だね>といっていた。
その後に起きたロッキード事件は国賊中曽根康弘がだめだったが背後には東大閥との抗争があっただろう。検察、裁判所、マスコミ、教育界、などは皆東大閥だった。世俗によくあるグルでこれは始末が悪い。
歴史的にみると将軍綱吉のころから表に出始めた現象でしょう。徳川幕府が形を整えたのはそのころで、お側用人というのがあった。徳川幕府は意外と民主的な政府で、どこの馬の骨か知らないが有能な人を将軍のそばに置いた。綱吉は柳沢吉保でその配下に荻原重秀がいた。そのコンビで元禄時代が生じた。
その後幕府の譜代の人、当時の筋目の正しい人、つまり今でいう、東大卒が出てきて、緊縮財政をした。当然不景気となったがその後お側用人田沼意次が出てきて、積極政策をして、よくなったが再び、筋目の人が出て、緊縮政策となった。その後まなべ詮房だったと思うが彼が積極政策をして、文化文政時代を現出した。
その後は幕末の動乱となって、実力がものをいう時代となって、明治政府ができたが、時が進むにしたがって、近代の筋目、学歴がものを言うようになり、代わっていった。
明治初期の料理屋の女将の伊藤博文や井上薫、その他の評価は、なんだこいつらは思うようなものがある。
さらなるその後はいわゆる近代官僚が政治を左右するようになったが、初めはアメリカのように政治任用だったが、途中で高文試験合格が必要となり。文字通り支那の科挙と同じになった。
その後の展開はみなさんご存じでしょう。昭和の動乱のもとは普通選挙が施行されたことに起因すると日本人は思うことだ。それに尽きる。それは今も同じです。
今の問題はいわゆるたたき上げ、角栄に相当する人がいないこと、お側用人に匹敵する人がいないことが問題でしょう。
◼️角福戦争
小針暦二・・・いましたね。福島で大きな問題になっていたのを覚えています。福島在住者ではないため詳しくは知りませんでしたが。バス会社などを経営し、東北の小佐野と言われていましたね。
角福戦争・・・激しくかつ長く続いた抗争でした。佐藤→福田の禅譲、と思われていたところへ、田中ブルドーザーが強引にクーデターあるいは革命を仕掛けて来ました。中共も明らかに支援したと思われます。いや、奥深い所でもっとつながっていたかも知れません。
政権を取った角サンは、今太閤として大変な人気でした。しかし中共との国交が樹立するや、新聞はもう用無しとばかり金脈問題に絡み一転して凄まじい非難、攻撃。これほど非難された総理は未だかつていないのでないか、と思われるほどでした。
大変な激動の時期に、瀬戸さんは記者として船出されたのですね。