2005年09月28日

収穫の秋と日本、神への感謝と天皇の存在   その2

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       大嘗祭を見て感動した日本人としての誇り

我が国における「天皇陛下」の存在とは、一体どのようなものなのか?正直言ってそれを実際に目にして感動を覚えたのは、現在の天皇陛下が即位された年の「大嘗祭」の模様がテレビで映し出された時でした。

大嘗祭ーそれは科学万能の現代社会でせちがなく暮らしている我々に、日本民族の浪漫、根源にある精神の魂を感じさせるものでした。まるでタイムマシンに乗って古代の世界に舞い降りたかのようでした。

大嘗祭の古式ゆかしき儀式そのものは、まさに我々民族が、紛れもなく自然をいつくしみ、自然と共に生きてきた農耕民族としての証<あかし>を我々に見せてくれた。

世界中の多くの民族には、その民族や国家の起源と誕生に関する「神話」があります。大嘗祭は現代に忽然と甦った壮大な日本民族国家誕生の浪漫的神話の再現でした。神話は悠久の歴史の中で絶えることなく息づき、力強い国家生命の息吹きを示してくれました。

大嘗祭とは名の通り祭りであり、我が民族が回帰するロマンの舞台なのです。この大嘗祭とはいかなるものなのか、それは我々が古代より連綿と受け継いできた稲作文化と密接な関係にあり、それを抜きにしては語ることができない。

我々日本人の主食は米であり、この米こそが日本列島の中で最も大切にされてきたもので、ゆえに米には人間の生命を養ってくれる特別な霊の力があると考えられてきた。

新しく取れた新米を神に献上し、その中にある霊を新天皇陛下が自らの魂の中に、しっかりと取り入れ身に付けることによって、最高神の位につくとされる大嘗祭こそ、日本民族が守り通して来た<日本精神>そのものなのです。

更に興味のある方は続きをどうぞ。

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皇祖神・天照大神が高天原で天の神様から五穀の種をもらい、それを持って下界に降りられ、人々に穀物の実りをもたらしてくれた、これが日本国家始原の神話であり、天孫降臨の物語ですが、そのことに対する感謝の気持ちが現代においても信仰という形で受け継がれてきました。

全国の神社で秋の収穫期に合わせて行なわれる「お祭り」は、その殆どがこのような信仰に基づく神への感謝の念を現わす行事なのです。「天皇陛下」とは、この国に稲作を教えられた神に、その年に収穫した米をお届けする<まつりごと>を行なうために、一番尊い位におられる方なのです。

大嘗祭に於いては亀の甲羅の占いによって、全国の水田から選ばれた西と東のお米が天照大神の前に供えられ、天皇陛下自らも食し国家・民族の安寧と五穀豊穣に感謝されたのです。

この儀式は最後まで厳かに執り行われました。近代文明が生んだ電気などは一切使われることなく、松明の薄明かりの中でそれは静かに行なわれたのです。遥か古代より、我々民族は身の回りに存在するものに聖なる神が宿っていると信じて生きてきました。山に川に神がおり、神によって自分達は守られていると固く信じてきたのです。だからこそ、人々は神への感謝の念を忘れることはなかった。

西欧のキリスト教やアラブのイスラム教は唯一絶対の神を作り出し、それを」信仰していますが、そのためか自然を神とするような考えを偶像崇拝としてこれを攻撃滅ぼしてしまいました。科学万能主義によって自然を破壊してきました。共産主義を唱えたマルクスは宗教はアヘンであるとこれまた攻撃し、神の存在を否定しました。

自然と神が一体となった独自の信仰を守り通して来た国の代表は我が日本国です。我々は今こそこのことを世界に向けて発信すべき時です。人間の魂とその魂に力を与えてくれる自然界が発する<霊力>を考える時なのです。

もはや科学万能主義や西欧合理主義は、人間を幸せにするどころか、地球を滅ぼしかねない危さを増しています。我々日本民族はあの大嘗祭に見せた民族の叡智と自然を慈しみ、その自然と共に生きるという哲学に回帰しなければなりません。

日本国家は何か?と聞かれた中曽根元総理大臣が、即座に「それは天皇陛下だ。」とおっしゃった意味が少しは理解できたような大嘗祭の映像でした。


Posted by the_radical_right at 09:02│ mixiチェック 自然の再生と共存(御皇室) 
この記事へのコメント
中曽根元総理大臣は、共産シナに遠慮して、靖国神社参拝を止められた。

このことだけが、汚点として歴史に残るでしょう。
Posted by bingo at 2009年11月23日 15:45