正恩体制で祖国にもう戻れない
今朝の産経新聞のトップ記事は対して私は余り驚かない、しかし
驚いた人も多いはずですその理由を最後の方に記載したい、
まず記事内容です「朝鮮総連を冷遇、新年の祝電もなし」
というタイトルでした、キムジョンウン(正恩)は現在の金一族の
三代目の独裁者です正恩体制は徹底的に韓国を嫌い、祖国統一の
スローガンを捨てた、「自主統一」や「一つの民族」の言葉を捨てた
こうなると民団(韓国系)を民団の共闘もない、出来ない、敵対関
係となる、まぁ〜それはどうでも良い話だ我々日本人に取ってはどう
でも良い話です
さて総連は祖国統一を掲げてきたが、その大きな目的は消えた、
そこにこれまでの人生とは何であったのか?迷う人も出るはずです
ここでこれまで書いた過去のブログを紹介します、ここに答えがある
産経新聞は次のように書いた、朝鮮総連の生きる道は日本社会に
適応し生きるしかない、(略)
それは私は生みの親より育ての親との考えで、日本社会に感謝する
ことしかない、と考える
ある反社の人間の言葉だが私はその人物の言葉を一回だけブログ
で紹介した、批判もあったが今回も紹介します
かなり長い文章になりますが、全て紹介しておきます。反社会勢力の人間なので、このようにエントリーで取り上げるのは、少し躊躇しましたが、敢えて取り上げます。
在日3世の任侠団体山口組代表 従軍慰安婦や在日への見解
六代目山口組から分裂した神戸山口組からさらに分裂し、「任侠団体山口組」を結成した織田絆誠代表(50歳、以下敬称略)は在日韓国人3世(本名は金禎紀)だ。暴力団業界に在日が多いのは事実で、過去にも柳川組・柳川次郎こと梁元錫や、東声会・町井久之こと鄭建永など、一世を風靡した在日ヤクザは多い。ノンフィクション作家の溝口敦氏が、在日とヤクザの関係を探った。織田は18歳のとき、父親の服役で「酒梅組」系張本組に預けられる。2年後、張本組の若頭補佐や若頭にまで抜擢されるが、「山口組と喧嘩するな」が不文律の酒梅組に嫌気が差し、指を詰めて脱退、一本どっこになった。
1988年、四代目山口組の直系組長だった倉本組・倉本広文から盃をもらい、倉本組の若衆になったが、倉本広文は幼時から織田の憧れの対象だった。
倉本はもともと“殺しの軍団”柳川組の出で、1958年柳川組が、管理売春をシノギにする酒梅組系鬼頭組と抗争した際、組事務所に殴り込んだ8人のうちの1人だった。織田は語る。
「倉本初代はよくも悪くも極道中の極道ですね。鬼頭組への殴り込みは100対わずか8。数次の抗争で柳川組は鬼頭組に死者1、重軽傷者15の被害を与えた。殴り込みのとき倉本初代はまだ16歳で、柳川組では珍しく在日ではなく、日本人だったけど、柳川初代が可愛がり、『わしの実子分(実の子供)や』と言っていたそうです。それと、若いころ一度JR天満駅そばのホテルで寝込みを襲われている。1人が日本刀で斬りつけるのを左手で受け止め、左手の神経を断ち切られた。手はくっついたけど、親指が動くだけで、後4本は動かない。
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柳川組は1969年に解散したけど、倉本初代は意地を張ってどこにも属さず、一匹狼でやっていた。そういうとき看板のある者7〜8人が束になって襲ってきた。周りは言いました。『倉本がやられた、ケンカの倉本負け知らずがついに終わった』と。
実際に無茶苦茶強かったらしい。そう言われたどん底から倉本初代は這い上がった。とんとん拍子の人より、いろいろあった人に自分、心惹かれるんです。
エリートよりも地獄を見た人、そこから自分の努力で、覚悟で、這い上がった人。そこにやっぱり、惹かれましたね。プラス柳川、かもしれません。柳川次郎という人は自分にとって特別な存在だったんです」
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在日ヤクザの柳川次郎が初代を率いた柳川組は山口組の直系組の1つで、2次団体でありながら、警察庁により全国広域5大暴力団の1つに指定され、昭和40年代、集中的な取り締まりを受けて解散した。倉本はその後、宅見組に拾われ、副組長に抜擢され、五代目山口組では若頭補佐の1人になった。
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織田は倉本の下で「織田興業」を結成し、倉本組の幹部へと昇進していった。が、1990年、山口組と波谷組が抗争した「山波抗争」が起きると、組員2人をして波谷組系平澤組幹部を銃撃させ、事件の首謀者として逮捕、懲役12年の刑で徳島刑務所に服役、そこで山健組の井上邦雄組長と知り合うわけだ。
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織田は在日3世として典型的なヤクザの道をたどる。彼はギクシャクしている日韓関係をどう考えているのか。
「自分も壁に突き当たったとき、自分は一体何者だと思いました。刑務所にいるとき、本を差し入れしてもらい、勉強したんです。と同時に、自分の記憶をたどって、じいさん、ばあさん、両親のこと、時系列で合わせて考えていく。と、なるほどなと見えてきたものがあります。
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戦前の強制連行、密入国、慰安婦。ヘイトスピーチが今、拡散させてますが、あそこには嘘、ねつ造もあるし、過大にこう大きくして見せたりしてますけども、自分なりになんぼか調べました。
実際のところ、朝鮮人の強制連行はパーセンテージでいうと、微々たるもの。肉体労働者の数が足りなくて、多少あったと思います。従軍慰安婦については、同じようなことが世界中であった、そういう時代やった、そうしないとご飯を食べられなかった人もいたと思います。
その中でいわゆる女郎屋の女衒も関係していたでしょう。それは日本国内でもあった話で、女を無理やりとか騙してとか、悪い人間もおったでしょうけど、全体でいうと、需要と供給の中で、各国で同じようなことがあったと思います。残念だけど仕方なかったことじゃないかと、思いますね。まあ戦争が生んだ悲劇の一環じゃないかと。
だから、そこで在日側からする恨みつらみはよくない、と。あんまり敏感に反応することじゃなく、もっとこう世界全体を見てほしい。在日の若い子らに言いたいのは、ありのままに受け止めてほしいということです」
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◆新世代の在日ヤクザ
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本国の韓国人とは異なり、「恨(ハン)」の文化からは離れている気配だ。織田は「韓国は生みの親、日本は育ての親」という。
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「どちらも大事だが、どちらかいうと、育ての親に決まってます。私らは韓国語もしゃべれない。日本に育ててもらったことに感謝し、育ての親に親孝行する。これのどこが悪いのか、と。
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自分も50の歳になってようやく一つの答えが出ました。これを発信して今、頭を壁にぶつけている若い世代に伝えたい。恨み、つらみはよくない、と。1世、2世は確かにいわれない差別を受けた。
が、日本という国にお世話になり続けたのも事実です。恨み、つらみを逆転して感謝に変えたとき、清々しい気持ちになれる。在日が日本人とともに日本国民のために、命がけでがんばろうというのは男として、1人の人間として、全然恥ずかしいことじゃない」
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任侠団体山口組のメンバーは9割以上が日本人、同組に所属替えした旧山健組メンバーも9割以上が日本人である。ヤクザや前科、前歴がある者は本人が望んでも日本に帰化できない。が、在日3世になると、同化が進み、意識や考えがほとんど日本人と区別できない。ヤクザの世界も同様のようだ。
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若い世代では今まで差別を経験したことがないという在日韓国人もいる。全部が全部、差別がなくなったとは思いようがないが、山口組では現在の六代目まで組長は日本人。執行部に在日が名を出す程度だ。任侠団体山口組が徐々に主流を形成し、初めて在日の組長誕生となる可能性もある。
私と酒を飲む親しい人ならば、私がこの人物について取り上げているのを知っているはずだ。しかし、その理由をこのブログには書かないつもりだ。この人物は神戸山口組の特攻隊長のような立場だったが、突然そこからも離れてしまった。
この人物が在日であることは前々から知っていた。若い頃「日韓同志会」という右翼団体を結成し活動していたことがあったと言うので興味を持った。今在日3世は何を思っているのか、このほどノンフィクション作家の溝口敦氏がインタビューでそれを明らかにした。
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☆朝鮮人の強制連行はパーセンテージでいうと、微々たるもの。
☆従軍慰安婦については、同じようなことが世界中であった。
☆織田は「韓国は生みの親、日本は育ての親」という。
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「どちらも大事だが、どちらかいうと、育ての親に決まってます。
☆恨み、つらみを逆転して感謝に変えたとき、清々しい気持ちになれる
☆若い世代では今まで差別を経験したことがないという在日韓国人もいる
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私は親日の在日朝鮮人をたくさん知っている。日本人の女性と結婚して日本に帰化している友人もいる。このヤクザ者に限らず、多くの在日の方が同じ事を言っている。
だから、日本に住んでいて差別されているなどと大騒ぎする人を見て、不思議に感じる。在日だけなら良いが、そこに共産主義思想が入ると反日になってしまうのだ。
ヤクザの方が日本社会における在日問題を冷静に見ているし、それを正直に語っている。それは前からそう思っていたが、これだけハッキリと口にする人物が出てきたことは大いに評価したい。
さて、この人物はこのような事も語っています。
神戸山口組から分裂し、「任侠団体山口組」を結成した織田絆誠代表(50)。
脱「反社会的集団」を目標とするが、そのために「民間軍事会社(PMC)」設立という具体的なプランがあるという。
「これまで、国内にはヤクザという存在があり、不良外国人を跋扈させなかった。
裏社会なりの秩序があった。それが今は、野放しに近い状態にある。これをなんとかしたい。
そして半グレ。半グレはヤクザより時代にあった適応能力は持っている。
でも、オレオレ詐欺だけはやめさせたい。
我々は、彼らに男らしい生きざまぐらいは教えることができます。国外では、すでにアメリカや欧州にPMCがある。
我々ヤクザはアメリカに入国できないので、東南アジアに支社を作り、支社と我々が個々に契約する。邦人警護の依頼を受け、我々が派遣されるようにする。
昨年から右翼人とか、元自衛官や元フランス軍の傭兵などにも会い、そうした方とミーティングを重ねてきました。
するとほぼ皆さん共鳴して、その船に乗りたい、との意思表示をいただいております。民間国防隊構想ですね。
じつは2017年2月、自衛隊が派遣されていた南スーダンに行くことを計画していました。
はたしてどんな警護が可能なのか現地入りし、この目で見ておきたかったのです。
憲法9条が足かせとなり、十分な戦闘行為ができない現状で、国内で自衛官を待つ身のご家族の方々は、さぞかし不安の日々だったことでしょう。
また、第3極とはいえ現役の組員が同じ船に乗るとなると、コンプライアンス上の問題が生じるでしょうから、ともに活動できる方法を模索中です。
一見、実現不可能に思われるかもしれませんが、もともと任侠は、日本が戦争状態に突入したとき、軍属として常に動いてきた歴史がある。
終戦後、三代目・田岡組長は治安維持に貢献してきた。それを現代に置き換え、何をすべきか考えてきました。
ただ、こうした社会貢献には、はじめから“用意ドン”で全員が動くのではなく、全体の9割方の組員は、ヤクザらしく遊び人を日々満喫してもらい、スタート時は1割程度の志願者のみ参加すればいいと考えております。
強制はしない。自主性を重視します。
現在、我々の同志で、無期懲役刑で服役している者が2名、長期懲役刑の者が数名います。
私は、その彼らが20数年後までに帰ってくる船を用意しておかないといけない。
それに、若い者の未来のためにも山口組を残さないといけない。
全国を回って私の話を聞いて、ついてきてくれた若者たちを裏切るわけにはいかないのです。
まず我々は、数十人規模で治安維持やPMCの貢献グループを作っていく。
こつこつとやっていきますよ。
その姿を見てもらい、脱反社のヤクザという我々の大義に向けて、信念を曲げず邁進したいと考えております」
※「任侠団体山口組」の「侠」の字は正字です http://news.livedoor.com/article/detail/13206518/
以上
この男ならやるでしょうね。彼は在日ではあるが、私は敵と思ったことは一度もない。人種や民族など関係なく、アウトローとしてのその考えや生き様に興味がある。勿論、私の方が15歳も年上だが、かつて知り合いの在日のヤクザは全て反共の持ち主だった。
任侠系で右翼活動をしていた人の中には、勿論在日の人もいた。親しく酒を酌み交わした人間も数多くいます。
余りヤクザ者を褒める訳にも行かないので、この辺で止めておきます。彼が憧れの対象という故倉本組長の姿を大昔になるが見たことがある。山口組が山一戦争をしていた頃、大阪の小さなカウンターバーでたった一人で飲んでいた。
友人が顔を知っていたので会釈したが、「一人で飲んでて大丈夫なのか?」と私が友人に聞くと「あの人はそういう人や」と教えてくれた。70歳まで元気に過ごせたら自分の半生記を書きたいと思う。
正直右翼団体の頃はヤクザ者ともかなり交流があったことは事実だ。根性の座った人間はもともと好きだ。今はもう殆ど付き合いは無くなったが、この織田という人物は新しいタイプの極道だと前々から思っていた。

