反日勢力を許さな有志一同、日本第一党福島県本部


日本製紙は二酸化炭素(CO2)吸収量が従来より5割多いスギやヒノキの苗木の生産に乗り出す。通常の品種と比べ約5割速く育つ過程でより多くのCO2を取り込む。国内での森林のCO2吸収量は排出量の4%にあたるものの、今後は高齢化で減る見通し。森林業者にとっても売り上げ回収を早められる新品種で林業を維持しながら脱炭素につなげる。
日本製紙が育てるのは成長が速いなどの特徴を持つ特定苗木(エリートツリー苗)...
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寄付金は桑原さんの口座におねがいします。
郵貯銀行 店番 8 28 3851715
くわばら一真
確かに厳しい闘いになりますが資金のカンパをお願いします。
今回の解散は亡くなりました。秋の臨時国会を考えているようです。

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忘れられない、いや忘れてはいけない生き証人の言葉
本日は北方領土の日です。日本政府は北方領土の返還運動を盛り上げるために1981(昭和56)年にこの日を制定しました。しかし、現在、返還運動が盛り上がっているとは思えない。国民の間には諦めの声すら聞かれるほどである。
冷戦の崩壊で一時旧ソ連が経済の危機に瀕したことがった。スーパーマーケットからは食料品が消え、暴動寸前まで行ったのである。思えばこの頃が日本としては交渉する絶好の機会だった。今、石油やガスの世界最大の輸出国となったロシアが、そう簡単に領土の返還に応じるとは考えにくい状況となっている。
今日は北方領土の日なので返還運動などについて書こうかと思ったが、これは別の機会に譲って、戦前の旧ソ連と日本との関わりについて述べたいと思う。いかにソ連は残虐な国家であり、日本はそれ故に祖国の防衛に神経を使わざるを得なかったか。
そのことについて、現在では余り話題にもならないが、連載で取り上げて見たいと思う。何故、世界でも最強といわれた関東軍60数万人は、ソ連との国境に対峙していたのか?戦うことなくシベリアに捕虜となって連行されたのか?この第2次世界大戦の最大の謎解きにもなるだろう。
私は福島県福島市生まれである。福島市といえば先ず年配の人が一番最初にあげるのは飯坂温泉である。かつては東北一の温泉街として有名であった。東北自動車道の飯坂インターで降りて温泉に向かうが、この丁度降り口に一際目立つ大きな墓標が立っている。
抜きん出て他を圧倒するかのような大きな墓標ではあるが、今はただひっそりと立っているに過ぎない。私がまだ23歳の頃、この墓標はいつも掃き清められ、一日として線香の絶える日はなかった。近くの温泉の下足番をしていた老人が、毎日足を運び供養していたからである。
彼の名字は菱沼さんと言った。当時70歳は確かに越えていると思った。彼は元憲兵将校で戦犯容疑を逃れ、各地の温泉場を転々としたが、最後にこの地を住居として定めたのは「石川中佐と尼港事件」に寄せる只ならぬ想いにあったからだ。
私はある時、この老人がこの墓標を掃除している姿を見て、非常に興味を抱き話をかけた。老人は多くの日本人に忘れ去られようとしていた尼港事件を私に教えてくれた。
以上