2010年04月30日

自分の神仏信仰と宗教観

 ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

 自分の神仏信仰と宗教観

神と仏を敬い祖先を供養する

 私はこれまで靖国神社や自分の近くにある神社に対する参拝を毎年欠かしたことがありませんでした。
 その理由は靖国神社については日本国家の為に尊い生命を投げ打って祖国日本に殉教した若き英霊の御霊に感謝の誠を捧げるためです。

 また、近くの神社への参拝は小さい頃によくその神社で遊び、お祭りなどでは楽しい思い出を与えてくれたことへの感謝と家族が無事暮らしていけることを神にお願いする為でもあります。

 この神社は昔から農家に関係する作物の苗や農具等が境内でたくさん並び市としても重要な働きをしていたので、農家の守り神として豊作を祈願する聖なる場所ともなってきました。

 仏様に関しては家には仏壇があり、そこに必ず手を合わせ墓参りも盆暮れには欠かさず行って来ました。所謂先祖供養というものだと理解しています。

 私のこの行ないは実は日本人の一般的に見られるもので、私はその意味ではごく普通のありふれた日本人であると自覚しています。ただ最近歳を追うごとに、よりこれらの普段の行動を深く理解出来るようになりました。

 例えば私の家は真言宗ですが、毎年正月にはお寺さんにコメと僅かな現金を持ってご挨拶に親父が伺っていましたが、今年から私が代わりを務めさせて頂いた。

 寺の住職に案内された仏殿には檀家の戒名が書かれたお札が所狭しと並べられており、そこには我が家のお札もありました。お札などと言ってはいけないのかも知れません。我が家のご先祖様です。

 毎朝、そこには炊きたてのご飯が供えられ、住職がお経を唱えられるそうです。その供えられるコメのほんの一部を毎年親父がお寺に奉納していたわけです。そのことへの感謝の言葉を住職から頂きました。

 我が家の墓はお寺の敷地になかったので不思議に思っていましたが、それは大昔寺が焼失した時に寺だけを他の場所に移したそうです。

 よって昔からの檀家の墓はお寺の敷地にはなくて、現在寺の周辺に建てられた墓は全て新しく檀家入りした人達の墓で、その墓も毎朝見回っているそうです。

 離れてしまった我が家の墓などに対しても定期的に訪れていると聞いています。私は日本の仏教というのは基本的にはこのようなものではないかと考えている者です。

 それは先祖を供養することが先ず一番であって、その為に毎朝のお供えやお経、お墓の見回りなどが欠かすことなく行なわれている。それが日本の仏教の本来の姿ではないかと思います。

 では、日蓮を信仰するという創価学会とは一体何なのでしょう? 日蓮を信仰する宗派は沢山あるようで、私は詳しくは知りませんが、真言宗などと同じく先祖供養をしていると思っています。

 日蓮宗のお寺も同じように周りに墓があって、お経が唱えられているのですから、それは日蓮上人だけでなく、檀家の先祖様に対しても行なわれていると思います。

 日蓮正宗を破門された創価学会の信者は先祖供養をどのように考えているのでしょうか? 立派な創価関連施設では先祖を供養するような宗教儀式は行なわれているのでしょうか?

 創価学会の信者は亡くなってもお寺の住職に来て頂いて、お経を挙げて頂くことも出来ないようですね。それで成仏出来るのでしょうか?

 また、何故巨大な宗教施設と大霊園は遠く離れて存在するのか? もし先祖供養を大切なものと考えるならば、大霊園の近くにこそ創価会館を造っても良さそうに思いますが、創価文化会館などはそうなってはいない。

 ところで草莽愛知実行委員会さんの下記のコメントに対して、創価信者のりゅう氏が、草莽愛知さんを日蓮宗信者と決めつけていました。

まともな学会員を日蓮正宗に帰依させ、矢野絢也さんにさん集して貰いましょう。」

草莽愛知  2009/05/20 10:37

 このコメントに対してりゅう氏が質問し答えがなかったというだけで、

 おめでとう。

日蓮正宗の草莽愛知実行委員会さん。

皆さん、公認の日蓮正宗信徒さんということになりました
ヾ(@°▽°@)ノ

Posted by りゅう at 2010年04月29日 13:10


 この愛知さんのコメントの何処に問題があると言うのでしょう。元々が創価学会信者とは日蓮正宗にいたわけですから、そこに戻ることが間違いではなく当然のことと思います。

 それをそのように思わないりゅう氏はやはり池田大作によってマインドコントロールされた哀れな信者ということ以外には言葉が見当たりません。

 これは草莽愛知実行委員会さんがどのような宗教を信仰しているかを訊いて書いてはいません。
 りゅう氏の言っていることが仮にあたっていたとしても、それで何がヾ(@°▽°@)ノなのかが理解に苦しみます。

(私は草莽愛知実行委員会さんの家に何度も泊めて頂いていますが、毎朝仏壇を拝んでいる姿をお見かけしたことは一度もありませんでした)

 色んな宗教団体がありますが、少なくとも創価学会は他の新興宗教団体とは違って、池田教祖ではなく日蓮上人を崇めているなら、その日蓮上人をお守りしてきた歴史ある由緒正しきお寺に戻ることが正しい道であると私は思います。

 先祖供養を欠かさず行なっているお寺さんを新年に見た時に、私はそのような思いを強く持ちました。勿論私は日蓮正宗とは何の関係もございません。私は真言宗の信徒でございます。


日本を護る市民の会からの転載

5・3「カルト撲滅・課税デモ」 最新情報(4月21日現在)

 前回はデモに参加した人達のほぼ全員が信濃町の創価本部にまで抗議に向かいました。100名以上の普通の一般市民が信濃町を自由に闊歩できたのです。

 創価学会の牙城会とか○○会といったコワモテの男達が、道行く人に「何処に行くのですか」などと言って、自由な通行を邪魔することもなくなりました。

 これぞ『日本を護る市民の会』の輝ける実績です。もう信濃町で創価学会の横暴な振る舞いは姿を消しつつあります。私はこのデモには参加出来ませんが、一人でも多くの人が参加して欲しいと願っております。

【生放送】



 
 ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

 

  

Posted by the_radical_right at 16:38mixiチェック

鳩山−小沢ラインに国民の厳しい批判

ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。


鳩山−小沢ラインに国民の厳しい批判

小沢辞任を求める国民の声を無視する民主党


【調査】 鳩山内閣支持率20.7%に急落「小沢氏は幹事長を辞めるべき」83.8%…共同通信調べ

 共同通信社が28、29両日に実施した全国緊急電話世論調査で、鳩山内閣の支持率は20・7%と、4月3、4両日の前回調査から12・3ポイント急落した。内閣支持率は1月中旬の調査以降、下がり続けており、30%を割ったのは初めて。不支持率は前回より11・1ポイント上昇し64・4%となった。

 今回の調査は小沢一郎民主党幹事長に対する検察審査会の「起訴相当」議決を受けて実施。小沢氏は「幹事長を辞めるべきだ」が前回より2・4ポイント増え83・8%に上った。「続けてよい」は4・2ポイント減の10・3%。

 鳩山由紀夫首相が小沢氏の続投を支持したことを含め、「政治とカネ」問題に関する鳩山政権の対応に国民が強い不満を持っている実態を浮き彫りにした形だ。

 米軍普天間飛行場移設問題が5月末までに決着しなかった場合について「首相を辞めるべきだ」が54・4%と、前回より7・3ポイント増え、初めて過半数となった。「辞めなくてよい」は6・1ポイント減の39・2%。 

 政党支持率でも民主党は24・1%と、前回より6・2ポイントの大幅減。自民党は0・7ポイント増の18・7%にとどまり、みんなの党が11・5%と、初めて2けたに乗せた。

▽47NEWS
http://www.47news.jp/CN/201004/
CN2010042901000454.html



 鳩山内閣の支持率が20%割れ寸前まで落ちて来ました。もう少しです。皆さんもお忘れではないでしょう。麻生政権が18%くらいになった時の民主党議員のあの騒ぎよう、今度は自分たちの親分がそうなるのですから楽しみです。

 何と言い訳をなさるおつもりなのか? 当時あれほど「国民世論を無視して居座るのか!」などと口汚く罵ってきた民主党議員の反応を是非見たいモノです。

 しかし、それにしても民主党鳩山政権というのは、本当に国民世論を無視し続けてここまできたものです。小沢の秘書であった石川議員が起訴されても、その議員辞職勧告にも大反対、北教組ヤミ献金事件で関係者が同じく逮捕された小林議員も居座りを続け、中井国家公安委員長のようなスキャンダル大臣にも更迭の動きもなかった。

 これ全て鳩山首相と小沢の二人の責任逃れの現われでもあります。上の人間が無責任体質、居直り体質である以上、当然のように下の人間もそれを真似る訳です。

 民主党内には国民の目線を感じて政治を行なおうなどと考える真っ当な先生は今のところ残念ながら渡部恒三先生お一人しかいないようです。小沢と距離を置いてきた岡田、仙谷、枝野などの大臣は沈黙したままです。

 これまで「内閣支持率が20%台まで落ちれば小沢続投は考え直さねばならない」などと言っていた反小沢派議員もその20%割れ寸前に来ても押し黙ったままだ。

 小沢はある程度今回の検察審査会の議決もあると考えて、狡猾な作戦を準備してきた。それが参院選で「単独過半数を目指し全力を尽くす」という言葉でした。それを言い続けることで牽制してきたのです。勿論言葉だけでなくそれへ向けて行動もしています。

 つまり、ここで反小沢の声を挙げれば参院選挙に敗北を喫した時に、その責任を被せられてしまうということなのです。だから誰も小沢批判をしなくなった。

 3月4日には生方副幹事長の呼びかけで『政府与党の一元化の下での政策調査会の設置を目指す会』なるものが発足し、ここには反小沢と見られる48名が結集した。

 「政策の議論が出来ない党なんて聞いたこともない」という尤もな理由で集まったグループですが、この連中は今何を考えているのでしょう。小沢への不満で集まってみたものの、結局は小沢が怖くて何も言えない。

 本来なら小沢批判が党内で沸き起こらなければならないのに、今の民主党内にはそれとはまったく逆の検察審査会批判が高まるという驚くべき動きとなっています。

 検察審査会の審査委員とは国民の中から無作為に抽出された国民の代表です。政治とは何のしがらみもない普通の人達であり、政界の金権・利権とも無関係な立場です。

 そのような人達11人が全員一致で国民の目線から下した議決に文句をつけ始めました。小沢への不満を口に出来ない、その鬱憤を国民の代表である審査委員に向けるなど本末転倒としか言いようがありません。

 一寸先は闇の中、と言われてきた永田町だけに、予想外の展開(小沢電撃辞任)の可能性もまだ残されてはいると思いますが、この民主党内の静けさを思えばどうもそれもなさそうに見えます。

 民主党には権力者の驕り・思い上がりが目につきます。彼らの権力など所詮は擬似権力に過ぎず、我々一般国民こそが真の権力者であることを分からせるのが、来るべき参院選挙であると考えます。

☆街頭行動のお知らせ

健全な国民社会を実現する運動主催

「5月1日は共産党の日ではない!街頭活動」

 『健全な国民社会を実現する運動』で、5月1日に川崎市の稲毛公園で街頭活動を予定しています。5月1日はメーデーですが、これは本来労働者運動の記念日であり、特定の政治勢力の日ではありません。そして、何より左派政治勢力の傀儡労働運動は、全く労働者のためにならない。だから、あえてこの日に街頭活動を実施します。

場所:川崎市川崎区宮元町7 稲毛公園

日時:5月1日(土)午後3時〜(主催者は30分前に公園到着:清掃奉仕予定)

主催:健全な国民社会を実現する運動(代表:中村 090−6109−0712)

【稲毛公園は川崎区役所の正面です】
http://www.city.kawasaki.jp/61/61kawasakiku/annai/img/kuyakusyo.gif


 ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

  
Posted by the_radical_right at 07:29mixiチェック

2010年04月29日

自分の昭和史(2)

ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

 自分の昭和史(2)

 18歳から29歳頃までの時代

 私は高校を卒業後直ぐ農業従事者となった。普通であれば就職などで環境が変わって大変なのでしょうが、私の場合などは実家の農業を手伝うだけですから気楽なものでした。

 相変わらずのバイク好きで泊まりがけで遠くまで行くのが唯一の趣味のようなものでしたが、この頃から車の免許も取ったので今度は車を乗り回していた。

 この年、昭和45年(1970)の11月25日に三島由紀夫先生の事件が起きました。この時私はミッパの葉を川で洗って出荷する作業をしていた。当時の楽しみと言えば農作業中にラジオを聴くことぐらいでつけっぱなしでした。

 そこに飛び込んできたニュースでしたが、その時は余り衝撃は受けなかったが、翌日の朝刊には切腹した時に切り落とされたと思われる頭が映る写真が掲載されていた。

 何か胸騒ぎがしたことを今でも覚えています。その翌年にはもう農業を諦めてどこかに就職することにした。その理由は市街化区域に指定され、いずれ住宅開発地域になるので税金も高くなって農業をやれなくなるということで親父にも就職を奨められたからです。

 当時は何処でも働くことは出来ましたが、市役所のバイトがあったのでそこに応募して翌年には正式に公務員の試験を受けて合格し、市の職員となった。

 ここからが私の政治活動の始まりでした。本来なら公務員になれば政治活動は出来なくなります。しかし、それが逆になったのは危機感を抱いたからでした。

 公務員の職場は当時『社会主義協会』という社会党を支持する最左派の革命集団によって支配され、日本を如何に社会主義国にするために革命を起こすかが真剣に論じられていた。

 私は学生時代にヒトラーの英雄伝を読んでいたせいか、左翼マルクス主義者が大嫌いでした。こんな連中に日本の社会を牛耳られてはいけない。その時に心の底から彼らへの恐怖心と憎しみを感じた。

 もういても立ってもいられない毎日でした。本を買い漁り読み始めました。左翼は暴力革命路線を隠して議会制民主主義などと言っていたが、最終的には必ず暴力革命を訴えてくると思った。だからそれを阻止するには暴力を肯定する政治運動でしか対抗できないと思ったのも事実です。

 早速『ヒトラーナチス研究会』を自分一人で結成し、電柱にビラ貼りを深夜始めました。この頃はもし見つかって逮捕されたら大変ですので深夜か朝の4時頃にやりました。

 当時はガリ版刷りです。ペンキが手につくと落ちなくて苦労しました。今のように手軽にビラが作れる時代ではないので、本当に時間もかかりました。

 正直言ってほとんどビラを見て連絡を寄越す人はいなかった。しかし、ほんの数人ではあったが同志と呼ばれるような若者が集まった。私と同じ年代でした。ところが一人だけ年配者から連絡があった。

 非常に貧しい生活をしている人だった。もう何時壊れてもおかしくないあばら屋に夫婦で住んでいるご老人で、戦前は憲兵をしていたという方だった。実はこの方が歴史に非常に詳しく、また戦前の反ユダヤ運動にも参加しており、その道でも知られた人のようでした。

 この頃「ヒトラーの闘争」という本を書いた長沼博明という方に会いに行きました。この方とお会いしてから『日本学生会議』という団体から機関紙などが届くようになってより政治思想運動に興味を惹かれていった。

 この長沼先生に関して以前ネットで書いていたら、その身内の方から連絡を受けたことがあります。もうお亡くなりになっていました。膨大なヒトラー関連の資料は水害事故かで消失されたと記憶しています。

 私は自民党にもこの頃出入りしていました。当時自民党には各県連には駐在員という方がいた。大学を出たばかりの優秀な方で面倒を見てもらいました。

 当時は田中角栄が総理大臣の時で、列島改造ブームなどと称して非常に景気の良い時代だった。この頃の参院選挙で私は自民党の選挙手伝いもしていた。

 この昭和49年(1974)の参院選挙で糸山英太郎という実業家が全国区に出馬、私はこの人物の選挙を応援することにした。そのご縁で初めて右翼団体を知った。22歳の時でした。

 この右翼団体は『民族思想研究会』という団体で、この会の代表者の篠原節(たかし)氏が実はヒトラーの信奉者だった。運命の悪戯かも知れません。私は会ったその日に会員となりました。

 この団体は福島である程度拡大したが、問題を起こして撤退しました。残された一部の会員を私が引き継ぎ『憂国青年同志会』として新たに始めたのが24歳の時でした。

 この後、25歳の時に暴力事件を起こして逮捕され、懲戒免職となってその後は東京に出た。一時でしたが右翼活動からは離れて都内のどや街で過ごすことになりました。

 実は逮捕されて拘留されていた時に、ペンを持つ魅力に取り憑かれ、そのような働き口がないのか、大都市ならあるだろうという軽い気持ちでやって来たのです。

 しかし、たいした仕事に就くことは出来なかった。風俗系の雑誌のライターや総会屋が出版する雑誌に原稿を書く仕事くらいしかなかった。仕方なく福島に戻り福島県内の出版社に顔を出して、そこで原稿を書かせてもらうことになりました。

 ところが人生というものは実に不思議なもので地元福島でミニコミ新聞をやらないかという誘いをある方から受けて、その方に連れられてまた東京に行くことになりました。丁度27歳の終わりの頃だったと思います。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:故三田和夫・読売OB記者魂

 右翼活動をまた再開したのは29歳になってからでした。この続きはまた後ほど書かせて頂きます。

☆街頭行動のお知らせ

健全な国民社会を実現する運動主催

「5月1日は共産党の日ではない!街頭活動」

 『健全な国民社会を実現する運動』で、5月1日に川崎市の稲毛公園で街頭活動を予定しています。5月1日はメーデーですが、これは本来労働者運動の記念日であり、特定の政治勢力の日ではありません。そして、何より左派政治勢力の傀儡労働運動は、全く労働者のためにならない。だから、あえてこの日に街頭活動を実施します。

場所:川崎市川崎区宮元町7 稲毛公園

日時:5月1日(土)午後3時〜(主催者は30分前に公園到着:清掃奉仕予定)

主催:健全な国民社会を実現する運動(代表:中村 090−6109−0712)

【稲毛公園は川崎区役所の正面です】
http://www.city.kawasaki.jp/61/61kawasakiku/annai/img/kuyakusyo.gif

 ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

お知らせ リンゴジュースとジャムの販売について
 20100118144300002010011815200000                                              

注文はこちらをご覧下さい。

http://blog.livedoor.jp/
the_radical_right/
archives/52452888.html


新しい記事に入れ替えました。一度ご覧下さい。
  


 購入された方からの商品に対する感想なども紹介させて頂いております。是非ご覧下さい。

  
Posted by the_radical_right at 18:02mixiチェック 異端の右翼・国家社会主義 

自分の昭和史

 ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。


祝 「昭和の日」

aabe60a8.jpg

 今日は「昭和の日」です。4月29日は「天皇誕生日」「みどりの日」そして「昭和の日」と変遷を重ねて「国民の祝日」となりました。謹んで先帝陛下に感謝の念を捧げたいと思います。



自分の昭和史(小・中・高時代)を綴ってみました。

 昭和天皇陛下が崩御されたのは昭和64年(1989)の1月7日でした。
 私は昭和27年(1952)3月の生まれですから37年間は昭和の時代を生きた訳です。但し正確には1月8日以降は平成の時代なので、実際に昭和の時代を生きたのは36年間ということになるのかも知れません。

 本日は自分の昭和史を綴って見ようかと思っています。昭和の時代とは戦前の戦争と動乱の時代、そして戦後の経済復興の時代と大きく分けられますが、私はその日本経済がダイナミックに成長する時代を経験しました。

 先ず小学生の低学年までのことは正直余り覚えていません。川で魚穫りをしたとか、近くの神社・お寺さんで近所の子供達と遊んだということぐらいです。

 但し今でも記憶に鮮明に残っている出来事があります。それは昭和35年(1960)に起きた大日本愛国党の山口二矢少年(当時17歳)が社会党の浅沼稲次郎を日比谷公会堂の立会演説の最中に短刀で暗殺した事件です。

 当時私はまだ小学校の3年生頃でした。この時には自分の家にはまだテレビがなく、近所のたばこ屋にしかなかった。この頃は近所の小学生と一緒にこのたばこ屋で当時NHKで放送していた「時間よ止まれ!不思議な少年」を見るのが楽しみでした。

 その事件の日もそのドラマを見るために集まっていた夕刻の時間に臨時ニュースということでその映像が何度も流れていました。一人の若者が壇上に駆けあがり、演説していた浅沼氏を刺した。

 浅沼氏はよろけながら二・三歩進んで壇の上に倒れ、刺した若者が警備の警察官に取り囲まれて裏の方に連れ出されて行く、そのようなシーンでした。 
 この事件についてまだ小学生であり、その意味すら分かりませんでした。しかし、この事件を契機に我が家にもテレビが入りました。 

 自分の小学校の頃は他の生徒と比較して、やはり「変わり者ではなかったのか?」と思っています。あだ名が“天の邪鬼”(あまのじゃく)と呼ばれていました。

 これはよく社会科の授業などで先生に逆らってばかりいたからだと思います。社会と理科だけがいつも一番で他の教科は全く駄目という非常にバランスに欠けた子供でありました。

 好きなことしか興味がなく、それ以外は見向きもしないという性格です。小学校の高学年から猛烈に読み出したのは偉人伝記モノでした。それも日本のものではなく外国人のものが殆どでした。

 ヒトラーに興味を抱いたのは、ヒトラーその人に対してではなく、ドイツの科学者であった近代ロケットの父と言われたドイツ人のブラウン博士の本を読んでからでした。ヒトラーはイギリス本土への攻撃で初めてこの博士が発明したV2ロケットを使った。

 ブラウン博士はドイツ人でロケットの研究家でありミサイルを初めて開発した科学者です。ドイツの敗戦が確実となり500名からのスタッフと米国への亡命を決意。米国のミサイル開発・宇宙開発を手がけた。

 また、スタッフの大半は亡命する前に旧ソ連軍に捕らわれて旧ソ連に連行されてしまいます。米ソのミサイル開発・宇宙開発競争の全てはこのドイツにおける研究家や技術スタッフによって行なわれました。

 この頃、主に読んでいた伝記は英雄伝とも言われるものですが、政治家や思想家というよりも科学者・医者あるいは実業家といったもののほうが圧倒的に多かったと記憶しています。

 図書館にあった伝記モノ関係の本は殆ど読んで、その後にまた読み返したという記憶がありますから、かなり読んだと思います。
 日本人の伝記モノや戦国時代の武将や明治時代の志士達に関して読んだ記憶はありません。

 中学時代になるや俄然政治家や思想家の伝記モノが増えた。
伝記モノの文章は何処か扇動的で臨場感がありました。子供の頃によく見た紙芝居屋さんの名調子と似ています。

 「国際連盟に最後の爆弾を投げつけ、勇ましく脱退した日本の運命や如何に…冷静なる眼(まなこ)を放って、新生日本の動きを注視せよ! 外には諸外国の脅威がいよいよ急を告げ、北の大陸の彼方より襲い来るは赤露(共産主義)、南からは太平洋の彼方より押し寄せるはアングロサクソンの重圧なり…」

 このような戦争伝記を愛読するようになった。これは学校の図書館にはなく、古本屋で当時貸し出してくれた本を読んでいたものです。中学生の頃は何かと変わったものに興味が湧いた。

 この頃アルバイトしたお金は殆ど映画館に注ぎ込んだ。一番衝撃を受けたのはヤコペッティ監督の「世界残酷物語」でした。確かこの映画は当時成人指定を受けていたと思いますが、中学生でも映画館は入れてくれた。

 中学3年生の時には同じく成人指定を受けたフランス映画の「昼顔」を見ているくらいですから、かなり広範囲に渡って観たと思います。これもその殆どが洋画で日本の映画を観るようになったのは高校時代に入ってからでした。

 この洋画の中でやはり圧倒的に多かったのは戦争モノでした。特にヨーロッパ戦線のものが多かったのですが、殆どの映画は米英が善で独伊は悪として描かれていた。

 小学校の頃から天の邪鬼とあだ名され反逆児だった私は、この中学の頃からヒトラー、ムッソリーニに憧れを抱くようになって本を読み漁ることになります。

 中学生の社会科の授業では失業問題の時に、先生が資本主義社会には失業があるが共産主義社会には失業がないと我々生徒に教えたことがありました。

 私はその時にこの先生に猛然と抗議して、ヒトラーの時代ドイツには失業者はいなかったと論陣をはりました。
 1930年代の世界恐慌の中で次々と資本主義国家が経済破綻をきたす中で、いち早く失業者対策を打ち出したのはドイツであることを独学の知識で先生に対抗した記憶があります。

 確かにソ連の共産主義体制は世界恐慌に関係なく計画経済を進めていたので失業者はいなかったとされていますが、それは職のない人は集団農場に強制的に連行されていたので、都市部における失業者の群れが見えなかったというだけではないのかと質問したのです。

 この社会科の先生は今思うと左翼ではなかったと思います。私に持論を長々と論じさせ、反論を言う奴はいないかと皆に言っていました。ヒトラー好きの変わり者の私に論争を挑む者などいないので直ぐに終わってしまった。

 私は農家の跡継ぎということで、当時農業後継者の養成高校として全国で初めて指定を受けた全寮制の農業高校(福島農蚕高校)に入学した。福島県下から生徒を募集したので競争率は何とその年では全県下でも一番の競争率の2.4倍でした。

 これに合格して園芸科に入学したのですが、余りというか殆どこれまでと同じで勉強を熱心にやるわけでもなく、自分の好きなことだけに没頭していました。

 寮生活の1年〜2年は大人しかったのですが、3年に寮を出てバイク通学を始めると、もうバイクを乗り回すのが何よりも好きになってバイクで遠くまで出かけて行った。

 学校をさぼって会津方面や浜通り、或いは宮城・山形など平気で飛び回っていました。この頃は政治思想には全く興味などなく、高校に入るとあれほど好きだった伝記モノの本も全く読まなくなった。

 しかし、相変わらず映画館には頻繁に顔を出していました。この頃から洋画は飽きたのか、日本の映画も観るようになりました。「高校生おさな妻」の関根恵子さんは高校時代の憧れの人だった。

 このシリーズは殆ど観ていますが、その他にも沢山観たので覚え切れないほどです。実はこの頃緑魔子という女優の作品に嵌った。関根恵子さんのような美人ではないが、不思議な魅力があって取り憑かれた。

 今日検索してその作品の多さにビックリしましたが、この64年〜70年にかけての作品を観ていました。また高校生になってからではなく、中学時代から観ていたようです。

 どちらかと言えば社会的な問題を捉えた作品が多かったように感じました。貧困・非行・暴力などを取り上げた作品で個性的な演技を見せていました。

 学生時代の部分はこれで終わりです。夜には社会に出てからの自分の昭和史を綴ってみたいと思います。


  ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

お知らせ リンゴジュースとジャムの販売について
 20100118144300002010011815200000                                              

注文はこちらをご覧下さい。

http://blog.livedoor.jp/
the_radical_right/
archives/52452888.html


新しい記事に入れ替えました。一度ご覧下さい。
  


 購入された方からの商品に対する感想なども紹介させて頂いております。是非ご覧下さい。
  

  
Posted by the_radical_right at 07:42mixiチェック 異端の右翼・国家社会主義 

2010年04月28日

国民との対決を選択した民主党

ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

 国民との対決を選択した民主党

「起訴相当」を無視して小沢一郎擁護で団結

 民主執行部 小沢氏続投を支持

 民主党の小沢幹事長の政治資金をめぐる事件で、東京の検察審査会が小沢氏本人を起訴すべきだという議決をしましたが、民主党執行部は、小沢氏は再三法的な問題はないと説明しているとして小沢氏の幹事長続投を支持し、夏の参議院選挙を党が結束して戦いたいとしています。

 民主党の小沢幹事長の政治資金をめぐる事件で、嫌疑不十分で不起訴になった小沢氏について、東京の検察審査会は「起訴すべきだ」という議決をし、東京地検特捜部は再び捜査を行い、小沢氏を起訴するかどうかあらためて判断することになりました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100428/
k10014125051000.html


1272351688878

 小沢問題で民主党は検察の陰謀・謀略とか最初は言っていました。そう思うのは勝手ですが、その動きで最後まで突っぱねれば良かったと思います。

 ところが当の小沢は検察批判を一切口にせず、「検察が公正な取り調べを行なった結果私は不起訴となった」と胸を張りました。つまりこの時点で検察の陰謀論は小沢一郎自身によって否定されてしまった。

 今度は検察の不起訴処分に対する異議が検察審査会によって議決された。検察審査会の委員は有権者の中から無作為に選出されます。これは権力の暴走や横暴などではなく、民意の反映ということですから、民主党の選択は国民との対決ということになります。

 しかし、民主党や民主党を応援する評論家などが検察審査会をこれほど批判するとは思いもよりませんでした。下記に見られるように民主主義への挑戦だなどと言い始めました。


 民主党県連会長の工藤堅太郎参院議員(67)は「不起訴後も『黒に近い灰色』と 繰り返したマスコミの報道に検審が乗せられた。証拠を持たない素人集団の議決は 民主主義への挑戦で残念だ」と検審制度までも批判した。(抜粋)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100428/
crm1004280018002-n2.htm


 ジャーナリストの鳥越俊太郎は「今回の議決を読むと、『市民目線』とか『市民感覚』とか書いて あるけど、証拠とはあまり関係なく、感情的、情緒的な判断。『絶対権力者』という言葉で、『だから知らないわけがないだろう』というのも、論理的に飛躍があり違和感がある」と疑問を投げかける。

 作家の落合恵子も「私も違和感を受ける」としながら次のような分析した。「市民が抱く世論は、いつどこで何によって作られるのか。メディアの報道が世論を形づくる 一部になって、それが市民目線と結びついたらこれちょっと怖い」

 経済アナリストの森永卓郎は「(議決は)イメージで決まっている部分がすごく多い。ふつう意見が 分かれるものだが、全員一致で『起訴相当』というのはすごく気持ち悪い」(抜粋)
 
http://www.j-cast.com/tv/2010/04/28065540.html

 この連中がこれまで検察審査会の件で何らかの問題点を指摘したことがあったのか?
 最近の動きでは今年1月27日に、明石花火大会歩道橋事故について、初の起訴議決がなされ、明石警察署の元副署長が強制的に起訴されることになりました。

 この問題で民主党議員や評論家は同じことを言っていたのか?

 感情的になり過ぎているとか、すごく気持ち悪いとか、違和感を受けるとか、そんなことを発言していた人を私は知りません。

 警察官が強制起訴になった時には、改正された検察審査会の在り方を評価するような事を言っていたのに、小沢の時にはまったく別な感想を述べるなんて、本当に分かりやすい人種である。

 鳩山首相が「不起訴相当」と議決された時だって、別にそれほど検察審査員の議決を問題にしてもいないのに、今回は検察審査会を悪者に仕立て上げて小沢を擁護するなどまったくおかしな連中です。

 民意を敵に回す、即ち国民を敵に回して、小沢を守ろうと奔走している民主党の姿を国民はしっかり見ています。国民の警鐘を軽視して反発さえするような民主党に対して、国民はより厳しい目を向けることでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 本日の東京地裁立川支部において、千葉英司副署長(事件当時)が『主権回復を目指す会』の西村修平代表を名誉毀損で訴えた民事訴訟で判決がありました。

 被告(西村氏)は原告(千葉氏)に十万円を払え・・・と言うもので第一審については原告側の主張を認めるものです。しかし、裁判所が認めた部分は100万円の請求に対して、その10分の1でも分かるように原告側の主張が全面的に認められたものではありません。

P1430082s













裁判終了後の立川駅での街宣

 我々の主張は千葉氏が事件当時の副署長として、事件の捜査に関して、その杜撰な捜査状況を批判・追及したものであり、その部分においては名誉毀損は認められてはいません。

 創価学会の信者ではないと主張した千葉氏に対して「創価学会の四悪人の一人である原告が・・・」という部分が千葉氏に精神的苦痛をもたらしたとして、慰謝料として10万円という金額が認められたということのようです。

 尚、今後控訴の手続きが取られるものと思いますし、控訴状の写しが届き次第、問題点を取り上げていきたいと考えております。

反創価公明党活動のお知らせ

 槇やすともさんのブログより転載

「政経調査会」時局講演会

話をする人 ; 槇 泰智
演題: 民族派活動家の矜持
===創価学会との戦いと、現代留置場事情===

日時: 5月5日(水曜日・祝日)
     午後6時15分開場 午後6時30分開会
     2時間くらいを予定しています
場所: 東京都中野区内某所
    近日中にお知らせします。何人位の来場者があるか分からないので未定なのです。

日頃は街宣で大きな声でまくし立ててばかりいて、じっくりとお話しする機会がないので、このような場を設けてみました。新右翼と称される立場で運動を重ねてきた経験から、現在のネットを主な窓口として参加した人々とのギャップなどにも触れてみたいと思います。

叉、今回の逮捕・勾留に至った経緯。刑務所ほど遠くはないが、誰しも身近な存在であるかも知れない留置場事情など、話させていただきます。質疑応答の時間を長めに用意しておきます。
会場分担金: 一般1,000円 会員は無料

*警察・公安関係者の参加、入場はご遠慮願います。場所等の更なる詳細を知りたい方はメールでお問い合わせください。
makiyasutomo@daitoa.com
政経調査会   まきやすとも

 日本を護る市民の会からの転載

5・3「カルト撲滅・課税デモ」 最新情報(4月21日現在)

 前回はデモに参加した人達のほぼ全員が信濃町の創価本部にまで抗議に向かいました。100名以上の普通の一般市民が信濃町を自由に闊歩できたのです。

 創価学会の牙城会とか○○会といったコワモテの男達が、道行く人に「何処に行くのですか」などと言って、自由な通行を邪魔することもなくなりました。

 これぞ『日本を護る市民の会』の輝ける実績です。もう信濃町で創価学会の横暴な振る舞いは姿を消しつつあります。私はこのデモには参加出来ませんが、一人でも多くの人が参加して欲しいと願っております。

 ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

お知らせ リンゴジュースとジャムの販売について
 20100118144300002010011815200000                                              

注文はこちらをご覧下さい。

http://blog.livedoor.jp/
the_radical_right/
archives/52452888.html


新しい記事に入れ替えました。一度ご覧下さい。
  


 購入された方からの商品に対する感想なども紹介させて頂いております。是非ご覧下さい。

  
Posted by the_radical_right at 21:05mixiチェック 反日売国民主党政権