岐阜の地で再び決意新たに!
同志との15年ぶりの再会と今後への期待
今、私の目の前には素晴らしい風景があります。
先ずはそれから紹介することにします。朝の太陽が窓から差し込む、そのまぶしいばかりの光で目が覚めました。
宿泊しているホテルの窓から周りの景色を見ると、その太陽の光に映し出されて、まるで別世界にいるかのような錯覚に陥りました。夜、ホテルの部屋に入った時には気がつかなかった。
下には長良川が見えます。あの鵜飼いで有名な川ですが、その鵜飼いを見る観光船が何隻も浮かんでいます。長良川公園には朝から色とりどりのビニールシートが敷かれている。
今夜この場所で花火大会があり、その陣取りが朝早くから始まっていると先ほどホテルの人に聞きました。私は残念ながら今朝ここを出ますが、今宵も宿泊するなら、まさに絶好の花火大会を望む場所でした。
目の前のせり立つ高い山・金華山の頂上には岐阜城が見えます。戦国時代には必ず登場する「美濃を制するものは天下を制する」と謳われた有名な城です。
久しぶりに明光を仰ぎながら、周りの風景に見とれていました。これぞ風光明媚という言葉がピッタリの場所にいることに感激して、思わず書かない訳にはいきませんでした。
私は昨夜、岐阜の柳ケ瀬で15年くらいお会いしていなかった旧知の同志と再会し会談を持ちました。昔の思い出話で盛り上がり、私も久しぶりに若い頃の自分に思いを馳せながら楽しい夜を過ごさせて頂きました。
前回、岐阜で開催された「せと弘幸を支持する交流会」を更に拡大させ、次回の開催を視野に地元の方々が動いてくれています。本当に感謝の気持ちで一杯です。
前回の会合に出席頂いた若い人たちとの会話も昨夜は実現しました。地方から中央を撃破する維新の戦いが着々と進んでいます。新しい風が地方から吹き始めてきました。
さて、昨日は25日でしたが、この7月25日は日本の近代史にとっても非常に大きな意味を持つ「豊島沖海戦」(明治27年7月25日)記念すべき日でもありました。
豊島沖海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6
日本と清国の戦争の発端となった海戦ですが、今回改めて話題となったのは、この海戦でイギリスの商船を日本側が撃沈してしまったことでした。
イギリスでは当時、凄まじいまでの日本批判の声が沸き起こりましたが、時の明治政府はこれに対して、英国籍の商船『高陞』への攻撃と撃沈は国際法上に沿ったものであると毅然たる態度で臨んだために、沈静化したという歴史的事実です。
今から114年前のことですが、当時の日本政府は現在の日本政府と比べると、何とも頼もしい限りです。今なら攻撃も出来ないし撃沈などしたら、それこそすぐに謝罪をすることでしょう。
この下記のサイトにも次のような紹介文が掲載されています。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/sib/hoto%20battle.html
イギリスの国際法学者ホルラントは、この問題について、タイムズに次のように寄稿した。
「高陞号の沈没したのは戦争が開始されたあとである。戦争というものはあらかじめ宣言せず始めても、少しも違法ではない。これは英米の法廷で幾度も審理され確定している。高陞号の船員は初め戦争が起こったことを知らなかったに違いない。
だが、日本の士官が船に乗り込んできたときこれを知ったとみなさざるをえない。このとき英国旗をかかげていたか否かは重要ではない。日本水兵が乗船し捕獲することは不可能と認められるので、日本の(浪速)艦長が、いかなる暴力を用いようとも、それは艦長の職権である。また沈没後に救助された船員は規則通り自由になることができたので、この点でも国際法に背馳していない。それゆえ日本政府が英国に謝罪する義務は生じない」
この論文とウェストレーキの論文が出されたことにより、イギリス世論は沈静化した。この後、ウォルスェー船長は日本に上陸し、東京にて朝野の歓迎をうけた。
我々現代の日本人は明治時代の日本人の気骨ある態度に学ばねばなりません。謝罪を続けることが、どれほど日本人の精神を腐らしてしまうのか。
そのことを改めて思い起こさせる日でありました。
本日はこれより愛知県の豊橋市に向かいます。豊橋駅前にて午後1時より、維新へ向けた狼煙をあげます。是非、お近くの方はご参集下さい。
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