朝日新聞社の思いつき企画
「戦勝国VS敗戦国」の構図の検証
朝日新聞が始めた『〜新戦略を求めて〜』は何故かお休みしている。毎日やるのかと期待していただけに残念だ。何か事情でもあるのか?今朝(地方版)の一面トップ記事には「歴史と向き合う・第一部・東京裁判60年」が大きく取り上げられた。
12面、13面の両面使っての大々的な記事の構成は、前回の『〜新戦略を求めて〜』と同様な扱いとなっている。この企画は『〜新戦略を求めて〜』と合わせて、日本のあるべき姿を探る企画と説明している。
随分と大風呂敷を広げたものである。『新戦略を求めて』だけでも超大型の企画なのに、同時進行で「歴史と向き合う」も始めるというのだから、朝日新聞社の意気込みを感じないわけにはいかない。
しかし、この張り切りようは何なのだろう。朝日新聞社が現状の東アジア情勢や日本の政治に我々とは全く正反対の立場で危機感を抱いているからかも知れない。彼らの足掻きが何となく感じられるこの頃でもある。
かなり長い文になるが紹介しておきましょう。
日本の歴史問題、米国専門家も懸念 アジア戦略と対立
日本の歴史問題への対応が、日本と中韓両国との関係だけでなく、日米関係にも悪影響を及ぼしかねないとの懸念が米国の日本専門家の間で広がっている。小泉首相が参拝を続けてきた靖国神社が示す歴史観は先の戦争を正当化するもので、日本の戦争責任を認めたうえで成り立つ戦後の国際体制の否定に通じると見ているためだ。日韓や日中の関係悪化は、東アジアの安定を望む米国の国益にそぐわないと考えていることもある。
ジョンズ・ホプキンズ大学ライシャワー東アジア研究所のケント・カルダー所長は「戦争を正当化することは、日本と戦った米国の歴史観と対立する。異なった歴史解釈のうえに安定した同盟は築けない」という。在京米大使館で大使の特別補佐官を務めたこともあるカルダー氏は「多くの米国人が靖国を知るようになると、日米関係の障害となりかねない」と恐れている。
ジョージ・ワシントン大学アジア研究所のマイク・モチヅキ所長も「米国のエリートは概して靖国神社の歴史観には否定的だ。歴史問題が原因で、日本に対する批判的な見方が強まっている」と指摘する。
日本は戦後、国際社会復帰にあたって講和条約で極東国際軍事裁判(東京裁判)を受諾した。靖国神社には、その東京裁判で裁かれた東条英機元首相らA級戦犯も合祀(ごうし)されている。米国の識者らが懸念するのは、首相の参拝が結果的に戦後日本の出発点に反することにならざるを得ない点だ。
ブッシュ大統領が首相の靖国参拝を批判することはなく、国防総省も日本の歴史問題を重視していない。だが外交を担う国務省内には、日米が協力して中国を国際社会のパートナーにしていこうという時に、日中首脳会談もままならない日本に対するいらだちがある。
国務省内の不満について、カルダー氏は「隣国と対話できない日本は、米国にとっても役に立たない。日米同盟が機能するのは、日本がアジアの中で役割を果たしてこそだ」と解説する。
対米関係に携わってきた日本外務省幹部も「政権の外では日本の歴史問題に対するワシントンの雰囲気は厳しい。今は日米両首脳が蜜月関係にあるから騒がれないが、首相が代われば分からない」と話している。
この朝日の記事をどう読み解くかであるが、もう中共、北朝鮮、韓国をいくら擁護しても、この三ヶ国の傲慢さは目に余り、日本国民の反発は強まるばかりである。
そのような中で朝日が思いついたのは、中韓と歴史観で対立することは、日米関係にも悪影響を与えるという論法だ。これは「戦勝国VS敗戦国」の構図をわざわざ持ち出したもので、朝日新聞社ならではの思いつきだ。
60年前に歴史を戻して、わざわざ「東京裁判」を両面ページに渡って特集している。もう、朝日新聞社が何を考えているかは明白だ。様々な手段を行使して共産中国の影響力を拡大させたいのだろう。
この企画に対しても反撃しなくてはならない。もう米国ブッシュ政権は「YP体制」に終止符を打っており、今更なぜ朝日新聞が「戦勝国VS敗戦国」の構図を描くのか、全くふざけた態度である。
朝日新聞はイラク問題にしても米軍基地問題でも、常に反米姿勢を明確にしてきたのに、何を今更米国の主張をわざわざ取り上げて、それを大きく取り上げようとしたのか。
一つだけ笑える話を最後に紹介しよう。それが答えになるからだ。
天安門事件の映像が流れた時だった。抗議の座り込みをしていた学生や青年の列に人民解放軍の戦車が突っ込んだ。無惨にもひき殺され逃げ惑う戦慄の映像だった。
これを当時「報道ステーション」の司会者だった久米宏氏は「アメリカはどうするんですかねー」とポツリとつぶやいた。反体制・反米を口にしていても、最後に頼るのは米国なのである。
今回の朝日新聞社のこの企画も、深く考えれば色々あるだろうが、私には久米宏司会者のレベルに位しか思わない。所詮はそのような人達に過ぎないということだ。
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