2006年02月26日

2・26事件の今日的意義を考える

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2・26事件の青年将校の心情を今に継ぐ!

祖国再興への誓いとは


 今から70年前の祖国日本において、陸軍の青年将校らによる軍事クーデター事件が起きた。彼らは「昭和維新」「尊皇討奸」をスローガンに蹶起し重臣を殺害、首都の中枢部を4日間に渡って占拠した。

 雪が降りしきる中、首相官邸、警視庁、朝日新聞社などが次々に襲撃された。当時の国民に大きな衝撃を与えたであろうこの事件は、首謀者達が「逆賊」とされ叛乱は鎮圧された。

 後に2月26日に起きたことから「二・二六事件」と呼ばれるようになったが、この青年将校らの蹶起は国家革新を求めての行動であった。当時の我が国の社会情勢はこのブログの『反中国講座』で書いている満州問題が深刻さを増して行く頃であった。

 この事件の一ヶ月後には日中戦争から日米決戦に至る戦争のきっかけにもなった「廬溝橋事件」が起きた。日本史の中ではこの事件は暗い軍国主義の幕開けとなった事件であり、戦前・戦後を通じてこれを肯定的に捉える人は皆無に等しい。

 現代社会においてこの2・26事件をどのような視点で見ていけば良いのか?その意義を今日的に評価する意味があるのか?確かに民主主義や平和主義が国家の基本理念とされている中で、この暴力的手段を行使した国家革新の叫びは肯定し難いものがある。

 自由があり豊かさを全ての国民が享受できている中で、このような急進的な考えは国民の理解を得られるものではないだろう。しかし、多くの国民がそのように考えている中でも、我々はこの青年将校については過去のブログにおいて、その心情に理解を示してきた。

 例えば民主党の前原党首が「中国脅威論」を唱えたり、野田国対委員長が「A級戦犯存在せず」と語ったことに対して、旧社会党の横路元北海道知事が「彼らはまるで青年将校のようだ」と批判した事がある。

 我々はこの時、「我々《極右》は「昭和維新」を掲げて決起した青年将校を評価する」と題して次のように書いた。

 そもそも昭和維新とは何であったのか?

「資本主義の富は一部に偏り、全国民に公平に分配されず、一方に黄金大名的な財閥の存在があるかと思えば、地方においてはその日の生活に困る農民、労働者があった。農民の子女は遊郭に売られ社会にはそれを糺す道理がない」

 だからこそ、彼らはその不条理に憤激し毅然として起ったのである。     

 今日の日本と、昭和初期の経済人の心の荒廃にどれほどの質的違いがあるのか…と我々は問いたい。

 さて、昨日の中共に対するODAについても、皆さんからコメントが寄せられた。その中で「dさん」からの以下のようなコメントは確かに核心を突いたものだった。

ネットで騒いでみたところで一過性なものに化している
では、どうすればいいのか。今この状態だと思うんです
私達が何ができるのか。それを呼びかけて頂けたらと思います
。

 誰でもがそのODAについては、必要性が全くないことを知っているのに、誰も何もできない。この社会の閉塞感こそが、かつての青年将校が思い悩んだあの時代の閉塞感に通ずるものではないのか?

 であるならば、我々は青年将校の心情を理解出来る。そう考えるなら今日的な意義を見い出す事も可能となる。その上でコメントを考えてみよう。一体何が出来るかだ?

 ネットで騒いでみたところで一過性のものとして終わってしまう。しかし、これが継続されて行ったらどうなのであろうか。中共が一番恐れるのは、これまで何度も言ってきたが、「日本における極右の抬頭である」。
 であるからこそ、彼らは極右を嫌い、ことあるごとに批判してきた。

 今、日本に極右が抬頭することを彼らに示すことが、どれほど彼らに威圧となるかは想像できる。また、国内の売国奴勢力にとってもそれは同じであろう。極右抬頭の空気は必ずや彼ら売国奴も敏感に反応を示すはずだ。政財界やマスコミなどにも警告となろう。私は繰り返し次のことを訴えてきた。

我々極右は非常事態においては銃口から生まれる政権を歓迎する。
これを現在の時点で表明できる唯一の政治勢力である。

 皆さん方のご支援で極右の思想は今飛翔せんとしている。極右抬頭をネットの世界であっても、為政者に示せば彼らは鈍感でない限り、何が起きつつあるのかを敏感に感じ取るだろう。

e4dada40.jpeg 一台のパソコンはやがて社会を変える―。我々の先輩はかつて「一発の銃声は百万人に勝る」と言ったが、私は現在「一台のパソコンは百万人の動員に勝る」と言いたい!
 どうすれば良いのか?そうした問いには、既にあなたは我々<極右>と共に戦い始めたと返答したいと思う!

輝ける祖国の未来に向って!

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Posted by the_radical_right at 07:05 │ mixiチェック │検証・歴史的大事件 

2006年02月25日

対中援助ODA問題を斬る!

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写真:中国の大陸間弾道ミサイル
日本からの開発援助はこうした兵器開発に使われている


国民一人当たり817円の負担・即刻中止せよ!

 日本が2004年に実施したODAは総額で9627億円。この中で対中援助総額は1043億円で日本国民一人当たり817円になる。日本のODAの最大の受益国は日本に脅威を与える「反日国家」共産中国である。こんなバカなことがと思っても、これが現実なのだから仕方がない。

 我々の感覚で言えば常識的にこれは即刻中止されるべきだ。にも関わらず2008年まで続けられるという。しかも、この年に中止されるのは円借款の新規供与と無償援助だけで、技術援助はこれまで通り続けるというのだから、もう開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 中共は環境対策や人材育成の面ではまだまだ日本の援助を必要としているというのだ。対中技術援助に限って云えば2004年は349億円に上っている。軍事費は毎年10%以上の驚異的な伸びを示している国家が、環境対策に回すカネがないなどと言うのだから呆れ果てて言葉もない。

 つい最近までは年間で3000億円以上が湯水のごとく中共に与えられ続けたのであり、その総額は20年間で6兆円以上にもなる。この天文学的な巨額(国民の血税)が中共へ援助されてきたが、一体、どのような使われ方をしてきたのか?

 一説にはこの資金で中共は人民解放軍の近代化を成し遂げ、ミャンマーやラオスなどの友好国への経済援助に回してきたと云われる。中国国民には一切知らされずに、共産党が秘密裡に処理してきた。��ゆすり”と“たかり”の恐喝外交に屈した末に6兆円も脅し取られてしまったのである。

 昭和53年の『日中平和友好条約』締結以来、このような馬鹿げたことが行なわれてきた。考えてみればこれほど愚かな外交はなかった。日中条約が日本の国益にとって、果してどのようなプラスになったであろうか。

 日本人すべてがこの中共への援助に賛成していたわけではない。また決して「右翼」や「反共の士」だけが反対していた訳ではなかった。私が主宰していた『世界戦略研究所』の講師でもあった亜細亜大学の故・倉前盛通先生は自著『悪の論理』で、中共の大国主義志向に対する警戒を呼びかけ、この巨額な援助に反対していた。

 反対していた人はたくさんいたが、政府と財界はこの意見に耳を貸さず、自分達の利益のために国家の将来など考えずに続けてきた。政府は中共の見せ掛けの親日ぶりとソ連への対立姿勢を過大評価した。中ソ対立を永久不変と考えた外務省の親中派は「チャイナカードだ」などと、ありもしない「カード」に固執して深みに嵌った。

 財界は金儲けしか頭になく、「十三億の市場」に幻惑されて、我も我もと支那大陸へと進出を図った。政府や外務省が土下座するたびに援助額が増加し、それを見た経済界はその資金を回収しようとほくそ笑んだ。バカな政治家と狡賢い商売人の醜さだけが目立つ結果となった。

 左翼政党、偏向マスコミは「中共性善説」を吹聴し続け、この「政治と財界の蜜月」を推進した。彼の国が共産主義の独裁国家であり、日本とは相容れない価値観、世界観を抱き、共産主義のイデオロギーを建国、治国の礎としていることさえ忘却していたのであった。

 そして今日、未だに中共との友好を叫ぶ売国奴が「アジア外交の停滞をどうする?」などとわめき散らしている有り様である。もう、一円たりとも中共などに献上してはならない。

我々は今、怒りを示そう!

中共の言いなりになっているのは、もうたくさんだ!

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Posted by the_radical_right at 14:27 │ mixiチェック │特定アジア(中国・軍拡) 

2006年02月24日

フィリピン・非常事態宣言について

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フィリピン 非常事態宣言を発令

軍部のクーデター計画が発覚

 【マニラ24日時事】フィリピンのアロヨ大統領は24日、相次ぐ反政府活動の摘発をめぐりテレビとラジオを通じて演説し、全土に非常事態宣言を発令したと発表した。大統領の強硬な対応に野党勢力が反発することは必至。25日の「ピープルパワー革命」20年を前に、フィリピン情勢は緊迫の度を強めている。
 大統領は演説で、右翼と共産主義勢力の間に「戦術的連携」があるなどと述べ、非常事態を宣言。「政府は不法な行動を粉砕した。わたしは最高司令官として状況を掌握している」と強調した。さらに非常事態宣言の発令に伴い、軍と警察に幅広い権限を付与したことを明らかにした。警察当局はマニラ市内での街頭集会を禁止し、反政府デモを展開していた数千人の群衆を排除した。

 このニュースを取り上げたのは、実は自らの不勉強を改めて知らされたからでもある。なぜならば我々は現在、近未来において共産中国軍が日本侵攻を開始する、その時に備え日本は大丈夫か。それを想定して戦略と戦術を構築すべきであると訴えている。

 ゆえに我々は共産中国は当然のことながら、その他の周辺のアジア諸国の動向にも目を配らねばならぬことは言うまでもないことだ。しかし、このフィリピンの動向に対して最近は全く無関心であった。

 どうも日本人はフィリピンという国を単なる労働力の供給国か手ごろな観光国としてしか考えてこなかった。考えてみれば、もしもこの国で共産主義革命でも起きて親中国寄りの政権が誕生したら、それこそ日本は窮地に追いやられてしまう。

 アロヨ大統領の「右翼と共産主義勢力の間における戦略的提携」とは、果して如何なるものなのか?そこに今回の軍部のクーデター計画はどのように関係しているのか。正直言って情報も知識も持ち合わせていなかった。

 このブログを愛読している方で詳しい人がいるならば、是非とも情報を教えて頂きたい。我々の先輩は「大東亜共栄」の理想を掲げ、欧米列強からのアジアの解放と民族の独立を訴えて戦った。あの先人の思いを受け継がなければならない我々が、いかに日常的においては、それを忘却しているか。このような時に思い知らされてしまうとは…かかる不勉強に自責の念に駆られる。

 フィリピン共和国は1960年代当時はアジアでも有数の経済力を誇ったが、それからは経済は下降するばかりでなかなか浮上できないで来た。貧困からの脱出へ向けて試行錯誤が続き、これまでも何度かクーデター騒動を起こしている。

 私の部下がかつてフィリピンとの友好関係を築くためにマニラに長く滞在していたが、たまたまフィリピンを訪れた時にクーデターに遭遇したことがあった(1989年11月30日)。そのようなこともあり、今回の事件には衝撃を受けています。

 フィリピン共和国と日本はどのように接して行けば良いのか、この事件の背景などを見て行きながら引き続き皆さんと共に議論を深めて行きたいと考えております。

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Posted by the_radical_right at 22:41 │ mixiチェック

荒川静香金メダルに想う

47b89644.jpeg今朝のニュースは何と言ってもトリノ・オリンピックです。政治思想は午後に譲りましょう。

荒川、日本人初の金メダルの快挙=フィギュアスケート女子
 トリノ五輪のフィギュアスケートは23日、女子シングルのフリープログラム(FP)が行われ、ショートプログラム(SP)で3位につけていた荒川静香(プリンスホテル)は、FPで125.32点をマーク。合計191.34点として、金メダルに輝いた。日本選手のフィギュアスケートでの金は初の快挙。これまではアルベールビル五輪の伊藤みどりの銀が最高だった。村主章枝(avex)はFPで113.48点、合計175.23点としたが、4位で惜しくもメダルにとどかなかった。2位はサーシャ・コーエン(米国)、3位は前回銀のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)だった。(スポーツナビ)

 「参加することに意義がある」という名文句によって美化されてきたオリンピックではありますが、ナショナリズムがぶつかる対決の場でもあるのです。世界中の選手に混じって日本人選手が健闘して、その結果として日の丸が掲揚された時、我々は改めて日本人としての血を自覚せずにはいられません。

 これまで日本勢の不振が続いていました。表彰台は遠のくばかりで、一縷の望みがこのフィギュアスケートだっただけに、日本としては救われた感じではないでしょうか。もしもメダルがゼロに終ったら、日本中に重苦しい空気が漂ったことでしょう。

 何を大袈裟なと思われるかも知れませんが、スポーツには時として、民族の体力と能力とその国家の活力が見事に反映されることが多いのです。つまり、国力のバロメーターと言っても良いでしょう。

 東京オリンピック、長野オリンピックで見せた日本人の頑張りは、参加した選手のみならず、日本国という国家そのものの頑張りでもあったのです。かつてアジア競技大会に出発する日本選手団を前に次のように訓示した団長がおりました。

「韓国や中国(中共)は国威発揚というプレッシャーが強いから、その間隙をぬって我が国は頑張ろう…」

 このようにスポーツにかける意気込みでその国の国情さえ垣間見えてしまうのです。確かにスポーツの優劣だけが全てではないにしても、国力のデモンストレーションである以上、参加したら日本人選手に勝って欲しいと思うのは日本人として当然の気持ちでしょう。

 日本の不振でJOCには抗議の電話が相次いでいたそうです。惨敗したのに笑みを浮かべ「楽しめました」では国民は納得しないのも事実なのです。北京五輪がどうなるかは神のみが知り得ることですが、それが控えている以上、無様なことにだけはなって欲しくなかった。

 その意味で、この荒川選手の金メダルはとても日本にとっては明るいニュースとなりました。先ずはおめでとうございます。

 テレビ中継で金メダルが決まった時に、司会者が紹介した言葉は強く胸を打ちました。荒川静香選手の言葉だそうです。

「自分が美しいと思うものを演じてこそフィギュアだ」

58f93fc9.jpeg 採点競技は時として見ているのもに「何でだろう?」と思わせることがあるが、荒川選手の演技には会場は勿論、世界中で見ていた人に当然だと思わせるだけの美しさがあった。


あっぱれ!大和撫子   おめでとう!

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Posted by the_radical_right at 08:14 │ mixiチェック │負けるな日本! 

2006年02月23日

「反中国講座」�┘熟△龍謀貔鑪�と満州

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「反中国講座」��

先の第二次世界大戦において、アジアで最大の得をしたのか誰か?

 これを考える事は意味のないことではない。なぜならば結果的に得をしたのか。或いは得をしようとして行動して来たかを知る事は、偶発的な衝突と言われた盧溝橋事件や満州事変、支那事変と呼ばれた戦争がどのような性格を持つものだったかが伺い知れるからだ。

 あの戦争で一番得をしたのは共産主義者であった。アジア大陸の共産化、すなわち“監獄化”に成功した。ヨーロッパにおいてヒトラーに勝利したチャーチルは、間もなく東欧一帯が「鉄のカーテン」に閉ざされた実情を目の当たりにして「我々は戦う相手を間違えてしまった」と感嘆したという。

 連合国側の中心であった米国においてさえも、「本当に勝利だったのか?」との声が挙がったほどであった。日独伊の枢軸を叩くのに性急で、共産主義者の恐るべき侵略性に、あまりにも鈍感であった。国際ユダヤ勢力は米ソ超大国による世界分割統治を望んだので、その思惑は果たせたという説もあるが、大半の一般の国民にとっては不満の残る結果であった。

 ご存知のようにマルクスの唱えた共産主義とは全世界の共産主義革命であり、ロシアだけの一国の革命には飽き足らず、全世界の共産主義革命に激を飛ばした。1921年7月、コミンテルンの主導により、陳独秀や毛沢東らが中国共産党を設立した。

 コミンテルンとは1919年3月にモスクワにおいて21ヶ国の代表が参加して設立。共産主義思想の普及、革命家の育成、ロシア革命の世界革命化などが目的であった。このコミンテルンの日本支部として1922年日本共産党が誕生している。中国共産党にしても日本共産党にしても発足時はソ連の世界革命の工作機関に過ぎなかった。

 ソ連は支那と特に日本が権益を持つ満州に於いては明確な極東戦略を立てていた。日露戦争で日本に譲り渡した以上の権益を1920年代初頭には獲得していた。外蒙古を衛星国化し、カザフスタンから東部トルキスタンへと触手を伸ばし始めていた。

 また、帝政ロシア時代からの北満の権益を継承。東支鉄道を動脈とし、ハルピンを拠点として全満州の赤化を狙っていた。満州は当時は最貧の社会で混乱し無秩序の状態だった。特に匪賊といわれる夜盗が出没する所でもあったのである。

 このような社会状況こそ共産革命の良き土壌であり、彼ら共産主義は甘い囁きをもって民衆に浸透しようと工作していた。満州において支配権を持っていた軍閥の指導者・張学良は、ソ連を排除するために軍事行動にでるが、ソ連軍の反撃を受けて追いやられてしまう。

 この張学良の父は張作霖であるが、彼は日露戦争でロシアのスパイとして活躍するが、日本軍に捕縛される。危うく処刑されるところであったが、張に見所を認めた陸軍参謀次長・兒玉源太郎に助命された。この時、張の助命を伝令したのが後に首相として張と大きく関わることとなる田中義一(当時は少佐)であった。

 この張学良の敗退によってソ連軍の勢力は前にもまして増幅して行った。ソ満国境の警備は疎かとなり、日本軍はこれまで同盟関係にあった張学良軍の敗退と、それに伴う新たな困難に直面することになって行った。それは張学良軍が日本の意のままに動かなくなった事である。

 北からは共産軍、東からは孫文の後を継いだ蒋介石軍が迫る中で、張学良軍は全く独自の動きを強めて行くが、これに日本が日露戦争の勝利で得た権益にも絡み始め、日本も最早のんびりと構えていられる状況にはなくなっていったのである。

 満州事変に至る重大な要因というものは、日本が満州を支配する野望から起きたものではなかった。それは一つには共産主義勢力から日本の権益を守らんがために決意せざるを得ない苦汁の選択でもあった。

 日本の軍部首脳はこの時、支那大陸への侵略の野望は全くなく、逆に満州での駐留がやがては必然的に日ソ戦争を誘発するものであり、それを覚悟していたほどであった。

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Posted by the_radical_right at 19:30 │ mixiチェック │反中国講座