欧州には一度燃え盛る炎に飛び込んだ鳥は不死鳥(フェニックス)となって甦えるという伝説がある!
今般、急転直下の逮捕劇により後塵を拝することを余儀なくされた西村代議士だが、その復活を望む声は強い。あの男は必ずや甦るだろう!より強くなって―!
ここに西村眞悟の憂国の至上を追うべく、その軌跡の一端を披露しよう。
眞悟と行く大東亜戦争激戦地(日本眞悟の会)
ビルマ慰霊記2005年2月16日〜22日
「アジア解放の礎となった19万英霊のみならず大東亜戦争で散華された英霊と共に生きようやないか?灼熱の大地に立てば理屈抜きに分かるはずや」
西村眞悟代議士の呼びかけの下、16名が『親日国・ミャンマー慰霊の旅』に赴いた。
偉大な軍隊
このヤンゴンはビルマ戦線の中心地であり、この広大なビルマ(ミャンマー国の旧称)を占領し管理下に置いてイギリスを放逐したところであります。ビルマの人々は60年前に日本軍が戦った時も、そして今も親日的であります。
(西村眞悟代議士 ミャンマー・首都ヤンゴンにて)
戦い、未だ終らず
歴史を奪われた、と思います。
本年は日露戦争勝利100周年、大東亜戦争の終結から60周年であり、歴史回復元年の年です。この戦争はドゴールやチャーチルが認めたように、数百年に渡るアジア支配を打破する戦争でした。日本軍は偉大な軍隊でした。
この灼熱のビルマで40キロの背嚢(はいのう)を担いでアラカン山脈を越え、インパールの方向へ攻めて行ったわけです。とにかくビルマに来て、自身の目で見て、自身の足で歩いて下さい。荷物を担がずに歩いたとしても、どれほど体力を消耗することか。
この親日的なビルマ…ミャンマーという国を現在における日本の国家戦略として、我々は手を取り合って助けなければならないと思います。
これから国家基本の再興と教育の再建を目指す上で、散華された英霊に安らかに眠れと申し上げることは出来ません。戦い終って60年、まだ本当の戦いは続いています。新たな戦いに勝たねばなりません」
(西村眞悟代議士 ミャンマーのマンダレー郊外サガインヒルにて)
豊かな国から来た我々が教えられた
慰霊と教育とは不可分であって、今回の旅がその実態を示しておると思います。ビルマの土に還られた19万の日本軍将兵はこのビルマを愛しておられるのでしょう。ここの大地から生まれてくる子供達を見ていると思い出します。ああいう顔は日本人の顔でもあるんです。
我々日本人は少々豊かになり過ぎた社会に住んで、ビルマの人々は地球上でもっとも貧しいレベルだと言われている。貧しさの中で暮らす貧しき者らと、豊かな者が一同に介した時、差はあるのかと思えば、豊かな者こそが、むしろ貧しき者らに教えられるような気がします。鉛筆やノートを渡した時、子供達の圧倒的な存在感でした。
(西村眞悟代議士 ミャンマーの寺子屋にて)
今年は祖国再生の転換の年
本日をもって慰霊の旅も終りますが、この慰霊の旅に参加した方々はこれで終ったという気持ちではなく、これから始まったという思いで祖国日本へ帰られることと思います。私もその一人であります。何故かと言えば祖国再建という志において、英霊の思いと我々の思いが一致している以上、亡くなった戦没英霊と我々は同時に祖国再建に着手したと、生きる者、そして死せしもの祖国再建を願っている。これこそが祖国再建の原点であるべきです。
戦後60年―、日露戦争勝利100周年の今年から日清、日露を含む全ての戦没者、命を捧げた英霊の思いと、生きている我々の思いが同じになって祖国再建に進むという歴史の転換点に入ったと考えております。
(西村代議士 慰霊の旅最終日)
その後、西村代議士は「戦いに勝った時も、敗れて敗残兵となった時も、温かく日本兵を迎えてくれた」ビルマの方々に感謝の念を申し上げ、西村代議士の唱和で天皇陛下万歳が一同渾身の力で三唱された。 (S.I)

