
この天皇の問題というのは、それを理解しようとしない方には極めて困難な説得であることが、身に染みて感じているところでもあります。
様々な角度より天皇問題に関する投稿を試みたが、いずれも十分な理解を得ることは出来なかった。そこで、ここでは私は持論を展開させて頂くことにしたい。
今でこそ、あまり見られなくなったが、かつては左翼陣営から「天皇制ファシズム」なる批判があった。
戦前の状況を指してのことだが、戦前の日本においては天皇制という<システム>とファシズムが決して相容れるものではなく、それを目指したものは「日本的な、あまりにも日本的なもの」に埋没して、その中に溶解されてしまった歴史の事実がある。
我々はこの点をこれまで考え続けてきた「この日本的なるもの」とは一体、何であるのか。
しかし、それは非常に曖昧模糊としたものであった。
そこが日本という国家の不思議なところでもある。
しかし、だからと言って、我々の目指すべき政治運動において、これをいつまでも<曖昧>な存在としておくことは出来ないと思います。
では、我々の目指す極右運動における天皇の立場とはどのようにあるべきなのか?
現体制・保守派は今日の象徴天皇制を堅持するとしている。
市民リベラル派の皆さん(例:三郎さん=過去の記事を参照)は京都にお帰り頂いて共和国のようなものを目指し、段階的に天皇制はこれを風化させるという考えでしょう。アナーキストさん(過去の記事を参照)は飽くまでも天皇制を打倒し、これまでの日本民族の上にあった呪縛をこの際、取り除きたいということでしょうか…。
我々の目指す天皇中心の神の国とは、普遍神道の日本的形態を証明する存在としての天皇陛下であり、その天皇を中心とする国家の再興です。
民俗学、文化人類学の行く着く先は「全ての民族はそれぞれの土着的な神々を持つ」ということの証明でなければならない。
来たるべき21世紀の世界とは軍事力や経済力、イデオロギーあるいは宗教によって支配・分割されるものではなく、世界の新秩序とはこれらの土着的な神々の系譜、系統に従って民族国家が形成され、それが互いに自治を認め合う形で存在するものである。
ゆえに土着的信仰の最高峰におられる天皇家は尊敬を集めるものでなければならないと思うのです。
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