現在の米国の覇権に挑戦できる国を、その可能性から割り出すとすれば、どうしても中国を考えないわけには行かない。中国には世界に覇権を唱えるだけの潜在的な力がある。
中国には米国の5倍、世界人口の約2割強に当たる13億人の人々がいる。それだけではない、中国大陸外で巨大な力を持つネットワーク・華僑の存在がある。
二十一世紀は中国の世紀と、世界中で喧伝されてきた最大の理由はそこにある。この点に関しては異論はないであろう。勿論これ迄通りの経済成長を持続できたとしての話ではある。また、これは中国が言う所の、社会主義市場経済というまったく不可解な経済システムが続くとした上でのことであることは言うまでもない。
なぜならば、国営企業や農民から搾取,簒奪した巨大な富を、共産党の一党独裁で絶対権力を持つ為政者が、おもうがままに使うことが出来なければならない。米国や日本と同じ資本主義国家で、複数政党の政治活動の自由が確立された時は、その挑戦の権利は喪失する。
では、、中国は経済力において世界を凌駕する程の成功を納めることが可能なのだろうか。
実はこの点については、中国にはその力がないという説もある。
これまでのヘゲモニー国家を誕生された背景として産業の構造的な変革があった。
例えばイギリスの場合は石炭を多用した「鉄道文明」がパックス・ブリタニカを生み、米国の場合は石油を多用とした「自動車文明」がパックス・アメリカーナを生んだ。
とすれば中国の場合と言えば、この石炭、石油に代わるものとしてのエネルギーがなければならない。
それは現在の所、原子力しかあるまい。
中国は原子力エネルギーに頼るしか経済大国への道はない言いきれる。
例えば中国13億人の人々が日本並みに石炭・石油などの化石燃料を使って経済成長を続けようとしたら、それは大変な事態を招くことにな。
世界の化石燃料はたちまちのうちに枯渇し、同時に大量の酸性雨に襲われ自然は破壊され尽くしてしまう。
この資源と環境問題は一人中国だけの問題ではなく、世界的規模で地球を危ういものとする。
もう、これを解決する道は石炭・石油に代わるエネルギーとしての原子力しかない。
では、中国は原子力の大国に成り得るであろうか。
残念ながら、こと原子力に関してだけ言えば、日本の方がはるかに先進国である。
この分野においては,中国が独裁体制であることは非常に有利となる,なぜなら反対活動を全くきにする必要がないからだ。
次に来世紀のキー・インダストリーとなる情報産業についてである。
情報を制するものは世界を制するなどとも呼ばれる今日、果たして中国がこの情報産業の分野において米国を打ち負かすことが可能なのであろうか。
農業革命―情報革命という流れの中で果たして中国はこの第三の波に乗れるのであろうか。
この部分に関してはかなり悲観的にならざるを得ない。
情報産業が育つには自由闊達な社会が絶対条件とも言える。
共産党の一党独裁下にある中国において、それが保証されるのか。
ヘゲモニー国家はどこよりも経済社会システムが開放的で、そのライフスタイルは自由で魅力に富んだものでなければならない。
事実歴史上その様な国が常に勝利を納めてきた。
イギリスとドイツではイギリスにはブルジョア的なライフスタイルがあり、ドイツにはそれがなかった。
米国はまさに自由の国であり、行きすぎと思われる程の自由があったが、旧ソビエトには全くそれがなかった。
中国はこの二つを果たしてどう克服して行くのであろうか、原子力エネルギーと情報産業革命この問題こそ、来世紀の中国が世界国家としてヘゲモニーを握るかどうかのポイントになるものである。
我々の中国の覇権国家説は以上の条件をクリアした時に成り立つものである。
※私は共産中国に対する警鐘を鳴らし続けてきた。
それは共産中国が覇権国家として、日本に対して最大の脅威に
なると判断したからだった。 平成10年頃の論文です。
親米か反米か、日本の将来にとってこの二つの対立と選択は難しくはあるが、避けて通る事の出来ないものでる。
第二次世界大戦の勝利によって獲得された米国の軍事的・経済的な特権はあらゆる方面において発揮され続いてきた。
この特権を認めざる得なかった「戦後日本社会」とは、果たして屈辱的ではあったが絶対悪として唾棄すべきものだったのか?
私は現在はそうは思っていない。祖国の再建に当たっての米国の手助けはこれを正しく認めなければいけない。
わたしは昭和27年生まれであり、学校給食においては米国より支給された粉ミルクを飲んで育った世代である。
また米国のテレビドラマを見て、素朴に米国社会に対して憧憬の念があったのは事実だったと思う。
我々の世代の中には大学に進み反米的な左翼の社会運動を志した者も多かった。
私は高卒で実家の農業を継いだが後に右翼へなった。若かりし頃は反米愛国のスローガンを掲げ活動してきた。
国粋右翼の多くは反共を掲げながらも反米志向が強かった。ただ、大日本愛国党の赤尾先生だけは声高に親米反共を唱えていた。
日比谷公園の定例街宣において、赤尾先生はソ連、北朝鮮、共産中国が真っ赤に染まった東アジアの地図を開き、日米関係が堅固でなければ赤化され飲み込まれてしまうと声高に訴えておられた。
当時この赤尾先生の考えは分からなくはなかったが、それではいつまで経っても日本の自主独立は望めず、米国に一方的に追従する道に他ならないと思っていた。
米国は東アジアにおいては日本の真のパートナーではなく、戦略的な思考によって米国の国益追求のために、ただ日本を利用しているに過ぎないと考えてきた。
しかし、時代はその後大きな変遷を遂げた。旧ソ連は崩壊し最大の脅威であったソ連の軍事力は影を潜めた。
一時的に日本の経済成長は米国をも凌ぐ勢いを感じさせた。しかし、バブル崩壊によって失速する。
この頃から米国の戦略にも微かながら変化が見られ、9・11以降はそれが明確になってきた。
と同時に東アジアにおける米国の考えも、クリントン時代とブッシュ政権とでは明らかに違ってきた。
これまでのように日本が口を出す事を許さず、自らの国益追求のみで動くその姿勢を改め出した。米国は自らの国益と日本の国益をいかに合致させるか、
それを「対日戦略」の基本に据えてきたと私は思っている。
そこで私は東アジア地域に限定した「日米共同覇権構想」を提唱しています。
なお、文明の衝突における日本の立場とその衝突を回避するために、西欧諸国
と一定の距離をおこうという中東政策の是非論はまた別の機会に述べます。